影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
優しいコメントは大歓迎です。
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オリンピックが開幕しました
 ソチオリンピックが開幕しました
まだ序盤なんですが、日本勢は、苦戦しているみたいです
街中どこも、ため息ばかりなのかも

自分は、深夜の放送が多いこともあって、そんなに見てないです、結果が分かってしまうと興味が半減しますしね

気になったことは、ジャンプの日本選手のユニホームがバラバラなこと
フィギュアスケートで、プルシェンコが復活していること
などでしょうか。

それと、一番注記すべきは、冬季五輪なのに、巨大メインスタジアムがあり、立派な競技施設の数々ですね、長野五輪なんか、これらの設備と比較すると、みすぼらしいものに思えますね
五輪開催のハードルがどんどん上がってますね

それと、羨ましいのは、開会式の流れたストラビンスキーやチャイコフスキーの音楽。
それらの作曲家が、自国にいるというのは、やはり大きな強みですね
それと素晴らしいバレエダンス。
こういうのは、その国の底力を示すもので、そこは大したものだと思えました
影法師
 百田尚樹      講談社文庫 


昨年末に読んだのですけど、記事をアップしておきましょうか

百田先生は、今話題の作家でして、読んでいる最中は、夢中で読んでしまいましたし、江戸時代の武士のことをよく調べられているので、なるほど、なるほどと思って読ませてもらいました

ですが、読後しばらくすると、根本的な謎、どうして友は、そこまで主人公に尽くしたのか。
一応、理由はあるのですが、そこのところを、自分は、腑に落ちない部分があります。

武士とは、こういうものである、という理念化された像を提示し、最も見事に生きた姿を具現化するとこういうものになる。
好対照の勘一、彦四郎は、それぞれ立派と言える人物ですが、片方は、世間からは、立派と評価され、片方は、蔑まれる。
そんなものは、実は大したことはないのだ。
と、言い切ってしまっているように思えた。

自分なんかは、本当にそうなのかなあ。と思う。
そこは、この本を読んでイマイチ楽しめなかったところなんだと思う
佐村河内さんの音楽
 今話題になっていることは、冬季五輪と佐村河内氏のゴーストライター事件ですね

世間一般からは、ほとんど知られていなかった佐村河内さんの音楽が、NHKで大きく取り上げられ、CDがクラシック音楽としては、異例の売れ行き、フィギュアスケートの高橋選手が、佐村河内さんの音楽を採用するということになってしまって、大きな社会現象になってしまいました

クラシック音楽愛好家の自分としては、佐村河内さんの交響曲についての感想を少し書いてみます。
NHKで放送していたものを録画して、当初は保存するつもりでいたのですが、一回で充分と思い消してしまいました。
ほとんどの人が、一回聴けばもういいや。と思うような音楽だったと思います

クラシック音楽の中の、現代音楽というジャンルに入ることもない気がする、つまり音楽表現において、真にチャレンジをしているものではないとは言えるし、陰鬱なメロディは、心地良いものでもない。
クラシックの世界の数多ある名作がある中で、この曲を取り上げる意味は少ないと言えると思う。

自分の好きな世界を披露する場として、クラシック音楽というジャンルは、自由度が非常に少ないように思える。音楽を表現するスタイルに独自性を求められるし、絶えず新しいことにチャレンジすることが求められる。
自分の表現したい世界がある人は、何も無理して、そんな面倒臭い分野で曲を書く必要はないような気がする
自分独自の世界観を思い存分に展開できること困難な場所と言えると思う。

佐村河内さんのように、自分の世界観を開陳したい人は、もっと他の場で表現した方が良かったと言えそう。

この事件の一番大きな問題は、佐村河内さんの音楽の良し悪しよりも、そのCDが爆発的に売れ、今ゴーストライター問題で揺れていることだと思う。

本来、そんなに売れないはずのクラシック音楽の曲が、ブームで売れてしまうというのは、どういうことやねん。ということですね

不遇を囲っている日本のクラシック音楽の作曲家の多くは、あんなに自由に書いて、どうしてそんなに売れてしまうのか。と思ったのではないか。

売れるためには、それを生み出した人の生い立ち、今回の場合は、障害児であること。被爆二世であること、そういう側面を強調すれば良いのか、ここは、ナイーブなところだけど、確かにその通りなんだろうと思う。
それと、これは残念なことなんだけど、日本においてクラシック音楽というのは、ほとんど理解されていないのが、実情なんでしょう
理解されていないけれど、尊敬もされていて、セレブなイメージもある。
その音楽を愛好していると、ちょっと賢そうに見える。
その隙間に、ぽかっと、嵌った問題なんだろうね。きっと

最後に、自分のこの音楽の評価はどうなんだと、自答してみると、よく分からん。
何が良いのか分からん。でも何処が悪いのかも分からん。分からんものは、無理して聴かないでよいだろうという結論です。