影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
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ゴーマニズム宣言SPECIAL AKB48論
 小林よしのり     幻冬舎


このブログは、当管理人が読んだ本の気楽に書いているものなので、この本の小林先生のように熱く、濃く語っていることについて、十全に対応して書いているとは言い難いとまず、前置きしておこうかな

場末の流行らないラーメン屋みたいな、このブログで、これだけ日本を熱くさせている問題について、どうして知りたいと自分は、思ったかというと、NHKで放送している「AKB48 SHOW」の新曲を披露しているところで、メンバー間に、明らかにダンスのスキル差があるものがあり、熱意の感じられないメンバーがいるのに気づいてしまったことと、そのメンバーが、国民的行事になってしまった感のある総選挙で、一位であることの事実に、どうしてそうなんだろうと思ったからです

小林先生の本を読むと、どうしてそうなっているのかが、大体分かった気がした

・ アイドルは、恋愛禁止を金科玉条とし、ストイックに生きてこそ正道。

・ 年を取った過去の歌手よりも、若い人の真剣な歌こそ、心を揺さぶられるものがある

・ 正道を歩み、日々研鑽を積む者より、テレビに媚び、バラエティタレントで生きる者の方が、より人気を得るような方向へ向かっていることへの不安

・ 厳しい競争に生き、しっかりと、あらゆる性別、年齢に対応もできる訓練も成され、被災地を絶えず勇気づけるアイドルへの賞賛

自分が理解したことは、こういうところだと思うけどどうなんだろう、合っているのかな

小林先生は、マンガ家という厳しい競争社会に生きてこられていますので、絶え間無い競争を強いられているAKB共感は、只ならないものがありますが、それぞれの職業をプロ意識でやり遂げろというのは、過去の著作でも、同じことを何度も言っておられますし、アマチュア全盛の今の世では、アンチテーゼになってますが、それは、NHKの「あまちゃん」と真逆の方向であるとも言えますね

自分としては、どう感じ、どうするのかというところでは、プロ意識を全面に出す方が、逃げ場を作っていない分だけ、底力があるような気はしますが、
世間的には、それでは生き苦しいと感じる人が多いような気もします。
そこの折り合いをどうつけていくのか、進歩か堕落か、人それぞれの見方によっていろいろ変わってきそうですね
津軽
 太宰治     岩波文庫


昔から気になっていた太宰の小説を読んでみた
これは、小説というより紀行文なのかしら

この本で一躍、津軽は、日本の中でも、密やかに気になる土地になったと言えますねえ
個人的には、「マリア様がみてる」の祥子様の夏休みの課題図書になってましたね

この小説の主眼は、津軽とはどういうところか、自分のバックボーンに何があるのかを探索する旅のようであるのですが、ご馳走ばかり頂いていて、一種のグルメ紀行のようです
戦争中にこんなことをしていていいものなのか、という疑問がフツフツ浮かぶのですが、太宰先生は、唯我独尊我が道を行っておられます
敢然と堂々と、愛着がある地を闊歩し、自分を正直に見つめ直すと、それは、それは。立派な行いのように思えます
誰しも、敢然と自分の行く道を闊歩し、友人に蟹をご馳走になり、舌づつみを打ち、育ての親とも言うべき人に会い、感興に耽る。そこに大いなる意味を見つける。
何か知らないけど、人生における大きな意味を見出したような気がします
それで、いいのかしらと、一抹の不安も覚えたりもしますけどね

・ 世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えているものだろうか、そうだったら、これは何を置いても親孝行をしたくなるにきまっている。そんな有難い母というものがありながら、病気になったり、なまけたりしているやつの気が知れない。親孝行は自然の情だ、倫理ではなかった
富嶽百景
  太宰治     岩波文庫


富士山が世界遺産になったこともあるし、自分が未だに読んでいない本を読んでみようという気持ちもあって、手に取ってみました

短い話なので、さくさくっと読めてしまうのですが、そこで語られている太宰ワールドに入るのは、ちょっとした異和感を覚える人もいるでしょうね。 自分のその一人だったと思うのですが、個人的に思い悩むことが、最近多々ありまして、この世界へ入ることができたようです。

・ 私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい、けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言われて、だまってそれを受けていいくらいの、苦悩は、経て来た。ただそれだけ。藁一すじの自負である。

太宰が、才能もないと言い切ってしまって、それで、同意する人は、ほとんどいないのですが、その当時何も持たず、何も何遂げていないという感のある青年の言葉としては、非常に説得力があります。

富士山は、世間的にも、美しい。でも、その世俗的な美しさは、受け入れ難く、そっぽを向きたくなる。
それでも、腐っても鯛。完全な美しさに対して、笑ってしまうだけになってしまうような存在感。
自分の身辺に色々な新しい出来事が起こりそうな予感。
そそっとした日常。そして、いたずらも少し。
楽しそうに日々が過ごしているようです、原稿の枚数は進んでいるとは、言えそうにはないのですけどね

十五の娘さんの言葉に

・ これは、人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考えていない。私は、娘さんを、美しいと思った。

前に物語は、進んでいますね
何か知らないけど、幸せを感じさせる話だと思います、
いとみち
 越谷オサム     新潮文庫 


久しぶりに記事をアップします

最近本を読んでいないとはいえますが、ちょこちょこつまみ食いはしてまして、最後まで読んでいないので、アップできていないのが、ご無沙汰の理由です

越谷先生の今回読んだ本は、津軽訛りがきつい女の子が、自分の居場所を見つけていく物語でいいのかな

それがメイド喫茶という設定は、今では、少しリアリティが少なくなっているのかも知れません
「ご主人様」と言われて、ぐぐっとくる男性が少なくなっているという気がするのと、萌えのい対象が移っているような気もします

成長物語として勇気づけてくれる話だと思うのですが、設定が古臭く感じるのは、自分だけじゃないような気がします

津軽三味線といえば、マンガの「ましろのおと」が自分は、思い浮かぶのですが、三味線の音そのものの厳しい芸道の世界に生きる若者のその姿と比べて、この小説の主人公は、真っ直ぐですが、そんなに深い芸道の世界に思い悩む女の子じゃないですね。等身大の女子高生です
ちょっと変わった女子高生の日常生活を描いただけの小説なんですね、これは。
それがイイのだとも言えますが、それでどうなんだとも言えそうです。