この映画は、スピルバーグのあまりヒットしなかった映画ですね
自分は、過去にこの映画を観て感心したことがあり、ETなどよりも、ずっと良い映画だと思っているのですが、どうなんでしょうねえ
「ピノキオ」を下敷きにしていて、人間の子供そっくりに作られたロボットが、母を慕い続け、探し続ける物語ですね
随分悲しい話で、陽気で、心温まる話を求める人たちには、余り歓迎されない話と言えそうです
ロボットにも知性があり、自分が自分であると認識する能力があるのだと、証明するのが、その題名になっているだと言えるのですが、その行為が、やはり少しずれている。オーバーアクションというか、人間ならそこまでしまいだろうと思ってしまうところが、考えさせられます
つまり、生の人間、特に子供は、意地悪く、残酷で、移り気で訳です。
ロボットのマイケルは、あくまで善良で、優しいのですが、その悪意に追い詰めれていくのですね
そこが悲しくて、あくまで偽者でしかないマイケルは居場所すら失ってしまうことになります
もちろん、母親からも引き離されます。
この母は、最初は、マイケルを嫌っていても、最終的には、マイケルの悲しい心中も理解できた上で、捨ててしまいます。
簡単にポイ捨てではないところが、マイケルの漂白を運命づけるのだと言えそうです
心は、繋がってままにしておいた訳ですね
このことが、最も残酷なことと言えそうです
セックスロボットのジゴロのジョーが、マイケルを救うのですが、最後に囚われてしまったと時に、マイケルに投げかけた言葉も印象的でしたね
「I am」 「I was」 私はいる。私はいた。
英語で語っている言葉が実に哲学的です
マイケルを救うことで、この世で自分が存在したことの証拠が残ったのだと訴えているのでしょう。
この世に自分が生きた痕跡が確かにあった。それが、AIということなんでしょうか