影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
優しいコメントは大歓迎です。
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NHKスペシャル「映像の世紀」を続けて観てみた
 久しぶりに更新します。
ゴールデンウィークになりました
我が家では、デジタルテレビを購入時に、CS放送のチャンネル銀河だけを加入しました。
「ポワロ」を放送しておりますし、過去の大河ドラマの放送もしておりましたのが要因です。

そのチャンネル銀河が、ゴールデンウィークということで、「映像の世紀」を一気に放送しました。
過去にも、ばらばらですが、2,3回観ていたのですが、全部を続けてみたのは今回が初めてです。十数時間を超える番組をも観るのには疲れました
迫力があるんですし、いろいろ考えさせられる番組です。

ざっと流しながらの視聴なんすど、現代史を考える上で、フランクリン・ルーズベルトの評価が今まで高すぎるような気がしましたね。特に日本のサイドからは、受け入れられない人物のような気がしました。
チャーチルとかは、骨があるのは分かったし、スターリンが国益でしか動かないのも分かった。
国益重視をよく言う人がいうけど、究極の国益重視主義者は、スターリンに尽きるのかも。

チャンネル銀河では、この後のゴールデンウィークでは、山崎豊子、有吉佐和子両先生の映画、ドラマを放送するらしい。
有吉先生の「三婆」は興味がありますし、山崎先生の本はほとんど原作は読んでいるので、楽しみです。
今年のゴールデンウィークは、テレビを観るだけで終わりそうです。
クンシランを撮ってみた
 クンシランという名前も知らず、ずっと我が家にこの花が置いてました。
手間いらず、強いので重宝していたのですが、クンシランという名前を最近知った。
蘭の一種だったみたいだ。
南アフリカ原産のようです。
純日本的な雰囲気ではありませんね。ですが部家に和やかな雰囲気は醸し出してくれます。

ポケット数独3 脳力トレーニングに最適! 中級篇
 株式会社ニコリ   ソフトバンククリエィティブ

上級編は難しいので、中級編を買ってみた。
自分には、これくらいが良いみたいだ。
こニコリ以外にも、本を買ってみたのですが、ニコリのものは難しいと思いますねえ。
上級編などは、全く歯が立たないものがありますものねえ
遷都 夢から政策課題へ
  八幡和郎   中公新書


この本の出版は1988年。今から20年以上も前に出されたものです。
当時読んで非常に感銘を受けた覚えがありまして、その後も八幡先生の本は、フォローしているのですが、最近のお国自慢ものとかを読んでも、薄味になってしまいましたねえ。とか思っている次第です。
この本における八幡先生は、優れた若い官僚による、ずいずいと提示される政策の斬新さに、心打たれたものです。
今回読んでも新鮮で心洗われるようです。

この本はバブル絶好期に書かれておりまして、当時は遷都をしようという雰囲気が政府内でも多少はあったのでしょうか。
もちろん、当時も政治家は全然遷都する気はなかったようでして、どうしてそういう考えに至らないのかを知るための本のような気がしました。

今度読み返してみましたのは、今回の震災における計画停電等における、首都機能を移設した方が良いのじゃないかという議論も出るようになったからです。

その種の議論を阻むのも、遷都ありえずも叫ぶのも同根の問題だと、改めて読んで思った。

この本で感銘を受けたところは

・ 東京の問題解決は国が対処、地方の問題は地元の責任

つまり、東京=日本という発想をしている人が多く、関東ローカルな問題であっても、日本全体の問題であると考えがちであることです
今回の震災でも、関東地方で停電であるならば、日本全てが節電に勤しみ、東京の知事が花見を自粛するべきだと言えば、他の地域でも自粛する雰囲気になってしまう。

現在でも道州制の議論でも、地方では活発に議論されるけど、東京では議論は不活発みたいです。
これからの日本の国土の発展にとって、巨大過ぎる東京の存在は、大きなくびきであるかも知れないですね


原子力神話からの解放―日本を滅ぼす九つの呪縛
高木仁三郎    カッパブックス


現在起こっている原子力発電所の危機について、考えることが幾ばくかありましたので、過去に読んだ本を読み返してみた。

この本は1999年に起こった東海村の臨界事故を受けて、高木先生が、それまで書いておられた岩波書店等よりも一般人に向けて、啓蒙的に書かれたものです。
当時は、書店で平積みされていたので、気軽に手に取って読みました。(岩波新書だったら、手に取らなかったでしょう。その後岩波書店の分も読んだ覚えがあります。)

この本を当時読んで、まず思ったことは、原子力については、漠然としてながらも、常識としてその危険性を認識できていたことでした。
当時も、政府は声高に安全性を吹聴し続けておりましたし、今回の震災前までも、安全性を主張し続けております。

今思い返すと、危険について、不感傷になっていた事実に考えざる得ないです。

この本で書かれていることは、原子力を利用するという問題点を如実に提示している訳なんですが、自分が読んで漠然と知っていた以上に感銘を受けたところは、日本の原子力技術は、それほどのものではないということ、特に日本独自の技術は失敗ばかりだったこと、安い電力を提供している訳でもないことでしょうか。更に、原子力発電所内では頻繁に事故は起こっていること。
つまり、火力発電と同じくタービンを回して発電するしか利用できていないのが現実であって、それ以上の利用は挫折してきた。(なのに、この本出版後10年以上莫大な研究費は投じられ続けている)
そして、今読み返すと、古くなったは原子炉の廃炉問題が一番大きいと思いました。

そういう点を考えると、原発に依存しないエネルギー政策を、迅速に実現すること。
積極的に、脱原発をやっていくほうが、エネルギー政策としては「安定的な政策ができると、高木先生は提言されておられます。
この本の出版後まもなく高木先生は亡くなられている訳であり、この本で主張されている内容を真摯に検討して来なかった、つまり東海村の臨界事件の教訓を全然生かせなかった10年がある訳で、今度こそ、原子力利用について、国民的な議論をするべきなんでしょう。

自分が考えるところ、日本の原子力技術が全くダメだとは思えないので、この本で書いている以上のものであって欲しいし、これまでの10年でも進歩しているはずだと思う。
技術として、これからの展望が見通せないと判断できるなら、脱原発するべきだと思うが、可能性があるのなら、原子力を利用していっても良いのではないかとも思う。
本当のところ、原子力利用に可能性はあるのかは不明であるとは言えますね
こりゃダメだ
 さきほどニコリの数独上級編を4問まで解いて、いい気になって記事をアップしたのですが、5問目で躓いた。
やはり自分には上級編は難しいようだ。
中級編で鍛錬しなくてはいけないみたいです。
ポケット数独2 上級篇
株式会社ニコリ   ソフトバンククリエィティブ


ソフトバンクの孫社長が、東日本大震災において100億円もの寄付をすると表明したようだ。
自分も、被災地の復興に協力してくれている会社を助けたいと思い、ソフトバンク関連の会社の本を買ってみた。

自分の趣味と社会貢献が小さいところですけど両立しているので、購入してすがすがしいです。

最近自分は、ナンプレ(数独)に嵌っております。
近くの本屋で、コーナーができておりまして、そこに人がけっこうおりまして、前々から気になっていたんですね。
そこで、思い切って簡単なナンプレの本を買ってみたのです。
最初は、どういうルールの元に行われるのかも分からず、難渋したのですが、コツを掴むと、初級レベルの問題はスラスラ  解けるようになった。
そこから、もう少し簡単な本を買ってみるとい、それも何とか解けるようになった。
そこで、この本の購入になった訳です。

これが難しい。先ほどから2時間くらいかけても、3問しか解けなかった。
歯ごたえがあります。
ナンプレというのは、奥が深いものです
矜持
ディック・フランシス/著 フェリックス・フランシス/著 北野寿美枝/訳   早川書房


作者が亡くなったので、これで最後の小説になったようだ。
帯の惹起文では、絶賛ばかりなので、期待して読んでみました。
誉めすぎかも。
読んでいてフランシスらしさはありましたので、そこを読めただけで満足なんですが、過去の傑作とかと比較すると、物足りなく思うところはあったのかも。

ここでの主人公は、アフガニスタンで方足を失った元兵士であり、有名な調香師の母の元に身を心ならずも置いている。
親子関係が希薄であり、実にドライな関係です。
そこでのトラブルに、自ら買って出ていきピンチにもなる。
ここからの脱出が、見所なんですが、面白く読めたのは、母との冷めた関係を淡々と記述しているところだったかも。

現実の世界では心のケアとかの方法も進化しているわけで、トラウマを受けるくらいの現実があっても、その重みを深刻に受け止めるのではなく、あっさりとスルーしてしまうのでしょう。
この小説の主人公は、現実世界の人物たちに合わせて創造されているためようなので、過去の不屈の主人公というのとは、大分タイプは違います。
そういうことを考えていると、冒険小説というのは、書きにくくなっているものなんでしょうか。とも思ったりしてしまいました