村上春樹 新潮社
大ベストセラーを読んでみた。
発刊から2年。さすがに話題になることもなくなりました。
読後、読中。頭に浮かぶのは、どうしてこの本が数百万部も売れ、世界的なベストセラーになるのかと思うのですが、どうなんでしょう。
この本は、読み上手な人たちに語り尽くされているでしょうので、個人的に思ったことを勝手に書いていきましょう。(このブログは、個人の気晴らし目的ですので、苦情をコメントに言わないでね)
まず、言わなくてはいけないのは、青少年向けではないのではないかということですね。
性的なことを書くのは、食べることと同じ、人間の必要な行為と言えるのですが、早熟な中学生とか、もしかしたら小学生が読んでしまうのは、害悪になるかも知れない話です。
もちろん、これを読んで性的に興奮するものではないのですが、無垢な男の子(女の子は大丈夫な気がする。)には、トラウマを与えるかも知れないですね。
そこを突ついたら、春樹先生の本は全て害悪なんですが、思春期の男の子には、覚悟はあるのかといういうのは問うても良いかもと思う。
全ての男は消耗品なんだ。と思ってしまう子もいたりして。
そして、語られている内容も、青豆という女性と、天吾という男性。お互い顔見知り(それ以上の存在か)の同級生。お互い過去に重いものを持っている。
ここで翻ってみますと、何百万部も売れるくらい事実を想起しますと、世の中の人々は、人に語られざる過去をもって生きている事実になるのか。
この話は、自分の過去に深い傷がなければ、本当に共感しにくいものであり、そういう傷つけられた過去への思いが、この本を読ませていく動機とも言えそうです。
重い話を読み進める為の工夫を施されているような気がする。
ですので、こういう本を読まないで済む方が、幸せであるとも言えそうです。
自分みたいに、ミーハーで読むのは慎んだ方が良いのかも
個人的には、ハードボイルドのアンドリュー・ヴァックスのバークシリーズと同じような話を、現代日本に置き換え、冗舌な語りで進めているような気がしますし、最後に法の外の暗殺で解決するというのでしたら、必殺仕掛人とか必殺仕事人と同じです。
新興宗教とか、ティーンの美少女作家も、1984年以降を思い返すと、確かに話題になる、事件になったことです、そのところを辿って、現代へ繋がる扉へ広げていくというのは、前記の話と違うところで、純文学ここにありというところでしょうか。
つらつら書き進めて、自分はこの本を十分楽しめたかと自答してみると、ほどほどですなあ。
と思ってしまいますね
自分が春樹先生の本で一番楽しめたのは、「世界の終わりとハードボイルドワンアダーランド」だと思うのですが、「世界の終わり」は、読んでいる最中、同質性のある話を思い浮かべなかったのと対照できるかも。
それと、小説の主人公は、現実世界と違い、力強く躍動できるものでなくてはならない。
この本では、
・ 無気力というのは、、どこまでも人を蝕んでいくものだ。
青豆さんの行動は、その蝕んでいくものとの葛藤でもあると思った。
登場人物の大胆な行動と魅力がないと、陰気臭い話であり、読み進めるのは困難かも
この話のレビューは、女性の方が多いですね
女性寄りの話とも言えそう。
男は、主人公の一人の天吾とその他数人以外は、プロトタイプな、何も考えない存在のように描かれておりますし、青豆さんいとっては、睾丸を思い切り蹴っても良いような存在でしかないような気がします。
それは、おじさんの自分としては、読んでいて不快に思いましたね。おじさん層は、そもそもそれ程、この本を読む対象から外されているのか。
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が、「名曲探偵アマデウス」でも取り上げられていましたが、この本が原因なんですね。
今から20年くらい前も、今もFMでは良く放送されますし、いつかヤナーチェクの時代が来るというような雰囲気になるのですが、今が、その時代なんでしょうか。
海外では、日本よりも取り上げられることの多い作曲家のような気がしますが、日本ではまだまだのようです。
自分は、個人的には「シンフォニエッタ」以外も日本で取り上げて欲しいと思ってますが、どうなんでしょうか。