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境界のRINNE 2 高橋留美子 小学館
昨年度末のBSマンガ夜話で、「犬夜叉」を取りあげていました。
それで興味を持った自分は、「犬夜叉」56巻全部読もうと思い立った。
そして年末年始こつこつ読み始めました。
只今21冊目まで読めました。
この物語は密度が濃いですね。さっさと読んでしまうこともできるのでしょうけど、そうすると何を犬夜叉一行がしているのが、分からなくなるんですね。
くねくね入り組んでいるけど、それほど複雑な話ではなかったりします。
息の長いラブロマンス。三角関係。伝奇ものでもあるんですね。
ヒーローものでもありますね。なんだかんだ言っても犬夜叉は強いです。
いつになったら読み終えることができるのかどうか不明なんですが、高橋先生の新連載が出ていると知って、浮気をしてそちらを読んでみました。
「犬夜叉」とどこか似ている物語でありますが、主人公が可憐で強い女の子ではありませんし、あの世とこの世を行き来できるりんねくんも、犬夜叉よりもいい男ではない、どちらも強烈な個性を持った存在でもありませんね。
でも、この話は、老若男女。どの世代も楽しめるものですね。
全方位であって、それで面白い。
そんなバカな。と言いたくなりますが、これが面白く感じない人もいるのでしょうか、どの世代の誰もが受け付けないものではないのは確かでしょう。
こういう存在というのは、手塚治虫先生の他見あたらないかも知れないですね。
出てくる人物が、特に相談してくる人が、本当に普通ぽい人が多いですね。こんな奴いないという極端な人は余りいないような気がします。りんねくんのおばあちゃんは普通じゃありませんが、この人はこの世の人じゃありませんしね。
そこが自分としては、淡々としていて良いと思うのですけど、ヒロインの桜ちゃんの微妙な体型と容姿は、連載されている青少年の心をときめかすことは少ないような気がします。
「犬夜叉」のかごめちゃんは、お風呂に入るシーンがけっこうあって、サービスしていたのにね。
こういうところは読者にサービスした方がいいのかも。
そして描かれている世界観は、少年向けというより、自分などがより共感できるような中高年向けであったりします。
誰も、ちょっとしたことであの世へと行ったりできたりする
意外と近い世界です。あの世は
頓知で有名な一休さんが、正月に浮かれている町中に、髑髏を持って托鉢して歩いたようなエピソードに同種の感慨を抱きました。
死とはかくも近き存在であると。
そしてこの話では長期連載にはならないとも思ったりしました。
今回のフィギュアスケートの四大陸選手権もそうですね、この大会も地味であり、本来は放送するような大会ではないのでしょうけど、オリンピックの前哨戦ということもあって放送となったのでしょう。
なぜか韓国で開催され、韓国のスターにキムヨナさんは出ないのかは、ちょっと疑問ですわね
韓国で絶大な人気を誇るキムヨネさんのライバルの浅田さんが出るということで、韓国内での関心も高く、ネット上での脅迫を煽る記事ともあり、浅田さんには屈強なボディーガードもついていました。
が、それでもあろうことかホテルの従業員に盗撮されたしていました、心理的に大きなプレーシャーのある大会になった模様ですね。
盗撮の件において、韓国側は大したことはないかのように報道されているみたいですが、日本においてキムヨナさんが同じことをされた場合は、国を上げて日本批判を繰り広げるあろうことが容易に予想されますわね。
どうしてこうも韓国は、アンバランスなんでしょうか。不思議です。
野球のWBCの時もそうでしたけど、韓国とスポーツ競技で係わると、いらぬ心理的負担を強いられますね。
できれば、お互い係わらないようにするべきです。
マスコミも永遠のライバルとかで喧伝するのは、止めるべきでしょう。
浅田さんは、ショートでは失敗したけど、フリーでは、懸案のトリプルアクセルをどうするかを再度試すのが主眼だったみたいで、成功はしたようです。
必ずしも浅田さんとしては、ベストの演技ではなかったみたいですが、プレシャーのかかる国で、ここまでできれば、まずまずといったところでしょうか
男子の本命中の本命であるプルシェンコの欧州選手権の演技でも感じたのですが、五輪前はどの選手も、のびのび演技するよりも慎重さがまさっているみたいです。
現在の採点基準が、難度の高い技に対して非常に辛く採点する一方、それほど難度が高い技でなくても、ポジションを綺麗に決めれば、嵩上げして点数を与えてくれるもののようです。
なので、五輪前は、どの選手もゆったりと演技して、静止をしっかりするというものになっているようです。
こういうのは、五輪前だから仕方ないのでしょうけど、高難度の技を決めることができる選手にとっては、もったいないことですね。
男女共、優勝する可能性のある選手が、トリノよりも多そうなのは、そういう採点基準への順応が進んでいるからなんでしょうか。
絶対的な本命のプルシェンコでさえ、必ずしも優勝できそうにない一方、開催国のカナダのロシェット選手が、女子で優勝候補の一角に名を連ねるばかりでなく、おそらく筆頭であろうことは、2年くらい前からは考えられないことですね。
少し前ならばキムヨナさんが、優勝候補筆頭だったのでしょうけど、カナダ選手権でのロシェット選手の活躍からすると、開催国の選手優位は揺るがないかも知れないですね。
浅田選手は、2年くらい前ならば、優勝候補筆頭だったのでしょうけど、今回の五輪では苦戦は必死ですね。
ダメもとで、思い切りやり、次回のロシアで金メダルを取れるようにすればいいでしょうと、自分は思ったりしています。
次回の五輪では、今の採点基準は改められるでしょうし、それは浅田さんには優位なものになるに違いないですしね。
日本は冬季五輪では、期待種目が少ないので、浅田さんにプレシャーがかかるでしょうけど、頑張ってもらいたいものですね。
日本は冬季に金メダルが一つもなくっても、それは当たり前なんですから。
マスコミが、それではテレビ視聴率が悪いから煽っているだけなんでしょう。五輪は参加することに意義がある。という精神でいいじゃありませんか。
全く先入観もなく、山崎先生の本だからということで、読み始めてみた。
沖縄返還交渉の舞台裏の話なんだなあ。
と思い、当時の政治家らしき人物が登場し、それぞれを描いているところが、実に興味深かった。
でも、きっと何かが起こるのだろうとは思っていたのですが、スクープの情報源を安易に野党に渡してしまったが為に、その情報源と取材した記者に対して、圧力がかかってくる話だったんですね。
事件発生からの展開が急で、この一巻で、主人公は逮捕されてしまいました。
いろいろと掛け違いがあったのは確かですね。主人公の自信満々なんですが、傲岸無礼とも言える態度にも問題があったし、情報
源の女性事務官も、脇は甘いし。簡単に取扱いに注意してくれと頼まれたのに、安易に文書を取り扱ってしまう野党議員。
権力者の痛いところをつかれていたので、当時の首相は激怒。
一旦権力者を怒らすと、右に倣えかのように人々は態度を変え、運命は変転してしまう。
そこは怖いですね。懇意にしていた政治家(あの大平元首相らしき人物ですね)も態度を翻して、トレードマークだったあーうーとか言ってくれません。
この物語も実話を元にしているらしいのですが、こんなに詳細にかいてしまって大丈夫なんでしょうか。
と思うと同時に、これだけのものをよく書けたと感嘆です。
政治の闇の問題は、古くて新しい問題なので、現在の政治でも同じようなことが起こっております。
次巻もぼちぼち読んでいきたいと思います。
その中でも最大のものは、「風と共に去りぬ」ですね。
あっちこっちの心に留まった箇所が厖大になってしまって、それに年末も忙しかったこともあり、もういいやと思ってしまったんですね。
この本は、アメリカ人の世界観を知る上でも貴重ですし、アメリカの歴史についても貴重な記述がありますわね。
映画とかでは、スカーレットとバトラーが中心で、脇役としてスカーレットの思い人であるアシュレーもその妻メラニーも全く目立たない存在なんですけど、原作では、非常に重要な人物として描かれています。特にメラニーの存在感は、ある意味スカーレットを上回っています。
そして、どちらも欠けた部分があるものとして描かれています。
作者は、誰も完全な存在を登場させず、この地上はそういう輩たち、つまるとことエデンを追われた者たちとして描いていくんですね。
なので、楽園というのは、スカーレットが生まれ育ったタラの地としてあり、財産が再び出来てもそこを買い戻せることのできない存在として有り続けるんですね。
それとこの物語で興味深いのは、バトラーの女性を求める心と、スカーレットの心情のすれ違いが面白いですね。
この物語の最後に行っても、本当のところスカーレットは分からないんですね。
バトラーの過去の行動、そして吐露を聞いても、やっぱり分からない。
映画とかでは、適切にかいつまんでいるので、明日になってバトラーの心を取り戻すことを考えよう。という態度を前向きに写していますが、彼女が本当にバトラーを理解しているのかは不問ですね。
そういうもどかしさが、続編「スカーレット」を書かせたんでしょうね。
世界中の読者から評判の悪いこの本は、そのスカーレットのもの分かりの悪さを正すことに焦点があるみたいで、そして舞台はアメリカを離れてしまった。
でもこれは必要のないものなんでしょうね。
「風と共に去りぬ」の本編の中で、バトラーをスカーレットへの愛を提示していますね。
基本的にシャイで、ひねくれ者なんで、どこがスカーレットへの愛を示しているのかは、スカーレットの反応が唐変木なこともあり、読んでいるものとしても、もどかしいのですけどね。
でも、バトラーがスカーレットを愛するようになる、スカーレットが持つ魅力は、育ちが良いお嬢さんというところに尽きるのかも知れないですね。
スカーレットが育ちの良いお嬢さんであったというのは、父母の愛情をたっぷりすすがれて、適切母から教育を受けたからなんですね。
だから、彼女は大嫌いなメラニーの為に包囲下のアトランタに残って面倒を見てやれるし、嫌々ながらも傷病兵のもできるのです・
内心が物凄い不満が鬱積してても、自分の持分を人様に心地よく施すことができるんです。
ただし、時代が時代だし、大勢の家族を養っていかなくてはいけないから、逞しくなるんです。
そして外面上は、商魂たくましい、堕落した女のように捉えられるけど、そうじゃないんですね。
アシュレーもバトラーも、スカーレットの内面を見ることができるのですが、アシュレーは、スカーレットの逞しく変化する姿を好ましくないものと捉えます、一方バトラーはそこに美しいものを見いだせるんですね。
こういうものを、聖なるものというのでしょうか。
スカーレットは自分にそういう美しい美質があるという自覚はありません。
物語の最後に、スカーレットは、いろいろと反省して、いろいろと気づきかけたところで終わってしまいます。
明日には明日の風が吹くとか言っているスカーレットのことだから、、こういう反省はきっと忘れてしまうのでしょう。
それと南北戦争は大義の為の戦いであったと南部側から訴えたい気持ちは伝わりました。
それは、第二次世界大戦の日本の姿ともシンクロするものでありますね。
東西どこでも、いつの時代でも、同じようなことを人間はするんですね。
そういうことに対して、スカーレットは醒めています、冷静に時代を観察するんですね。
嫌いなものは嫌いと、はっきりしています。
だらだらと「風と共に去りぬ」について書いてしまいました。
この本は、本当に面白い本ですし、いろいろと考えさせられる本です
今年は冬季オリンピックもありますし、ワールドカップもあります。
その中でも、自分が最も興味があるスポーツはアメリカンフットボールなんです
ここのところスーパーボウルに向けてのプレイオフを連日放送しています。NHKのアナウンサーも解説者もレベルが高くて、自分は楽しませてもらっています。特に解説の河口さんは、かなり専門的なことも話してくれています。
どうして民放のアナウンサーたちと、こうも違うのでしょうか
自分のNFL観戦歴は二十年以上です。
自分が見始めたころは、丁度スーパーボウル開設時からコーチをしていたドン・シュラを始めとする人たちが引退していった時期でした。
それと同時くらいに、当時のアメリカンフットボールには、大きなトレンドの移行があったみたいです。
その頃以前のNFLの戦術は役割をきっちり決めて、選手を駒のように動かしていくというようなもの
つまり、まず戦術あるき。のようなものだったと思います。
そういう決められた枠組みを、壊すようなデフェンスの選手が、80年代前半に現れたみたいです。
トイメンの選手だけでは対応できない選手、自分の守備範囲を大きく外れて動く選手の登場があったようです。
ローレンス・テイラーのことです
それに伴い攻撃的な守備というものが、大きな地位を占めていったみたいです。
あらゆる球技というものは、レベルが高くなってくると、点を取るよりも点を取らせないことが勝利の最重要事項になってくるので、よりデフェンスを強化していくことが、勝ちの近道になるのは自明なんでしょう。
自分が見た、80年代中葉のベアーズ、80代後半のフォーティナイナーズ、90年代初めのカウボーイズ、2000年初頭のバッカニアーズ、レイブンズ、そして一昨年のジャイアンツ、去年のスティラーズ。どチームも強力なデフェンスを持ち、守備のスター選手を抱えていました。
フォーティナイナーズとカウボーイズはオフェンスも強かったですけど、その強さのベーズはデフェンスであったようです。
一方、それほどオフェンスが強くなくても、しっかりボールコントロールして、ミスにを犯さないQBを据えることでスーパーボウルに進出したチームもありました。バッカニアーズとかレイブンズとか一昨年のジャイアンツとかはそうですね。
ここというところで、決めてくれるだけでいいというものですね。
兄弟ともNFLのQBであるマニング兄弟も、与えられている役割は違っているみたいです。
そういう大きな潮流というものが、今年のプレイオフを見ていると変化してきているような気がします
つまり、ミスを犯さないオフェンスでは、もう通用しない時代になってきたということでしょうか。
デフェンス有利の時代からオフェンス有利の時代への変化というもかも知れないです。
今年のNFLは、優秀なQBが沢山輩出しました。
それぞれ、パスを投げまくるが、ミスも少ない。
ただし、黒人のQBみたいなアクロバティックなQBは少なくなっているし、そういう選手の活躍もそれほどではなかった。
絶妙なタイミングで、パスを投げ分けるQBが、舞台の主です。
これも真実だと思うのですけど、完璧なタイミングでパスとかを投げられると、デフェンス選手は防げないんですね。
それは真であっても、容易なことではないんですけどね。
それも、複雑なNFLのデフェンスのスキームを読んでパスを決め続けるのは、大変な知力が必要だし、熟練も入ります。
相手デフェンスに、インターセプトされも、多少ミスしても、果敢に攻撃を続け、そして相手を圧倒する
そういう意思のあるチームが。ここまでプレイオフで勝ち残っているみたいです。
セインツ対カーディナルズ戦は、自分が近年みたNFLの試合では衝撃的でした。
相手に先制されも、セインツは全然動揺せず、あらかじめ決められていたプレーをして試合をひっくり返した。
セインツのQBのプリーズは、淡々とパスを投げ分けていました。
これからの時代は、ハイパワーオフェンスを持っていないと、勝ち抜けないのじゃないだろうか。
もちろん、これは自分の印象に過ぎないのかも知れないだろうけど、デフェンス力が勝敗を左右する決定的な要因ではなくなっててきているとは言えるのはないでしょうか。
個人的には、優れたGB持つセインツとコルツでスーパーボウルを戦って欲しいです。
わくわくします。
バイキングスも出て欲しい気もしますが、ジェッツは厳しそうですね。
ちょっと前に読んでおいていたのだけど、簡単に感想書いておきます。
この本読んで感想書いている人たちと同じような感想になりますね。
箇条書きしてみますと
・ 綺麗に終わっている話を引き延ばしをしをしていますなあ。
・ 主人公は、現実世界でも、、新たなゲーム世界でも、女性からもてもてです。
・ 悪役が分かりすぎるなあ。
といったところでしょうか。
でもですね、この物語は、自分の最も好きな話の傾向をもっています。「アクセルワールド」の方は、もっとこった世界と思うのですけど。こちらは、べたべたですね
おっさんの自分などには、あの「北斗の拳」と同じ読後感があります。ケンシロウも愛する人の為に戦っていたし、滅法強かったしね。
自分的には満足で、この方向で話を進めて欲しいです
しかし、粗を探すと止めどなく見つかりそうな話でもありますし、女性読者はそんなに面白く感じないかも
苦手だった西尾先生の本を読んでみた。
今度こそ読み通すぞ。とか気合いを入れて、やっと読み終えた。
そんなに気合いを入れず読める推理小説でした。
自分はどうしても、西尾先生にはアレルギーがあって、気構えてしまいますねえ。
かといって普通ではないですねえ。無駄というか冗舌な部分が多いです。
シリーズ化を見込んで、登場人物を入念に紹介する意図があるのいでしょうか。
それにしても、カテゴリー分けが難しいというか、評価が分かれるような物語です。
犯人当てよりも、どういう殺害があったのか、そしてその動機は、というところに重点があったのですが、それすらも主人公たちの謎解きそれ自体、その考え方、そして西尾先生の現代の風評スケッチというようなものを言いたいみたいですね。
主人公の就職できない女の子と、ネットカフェ難民になっている刑事の組み合わせ、そしてその女の子の居候先の叔父の作家。
その関係性は面白いし、西尾先生の周辺を思い浮かべることもできそうですし、リアリティもあるのですが、そういうところを押してしまうと推理小説そのものではないですね。
2時間ドラマの推理小説チックになってしまいますわね。
まあこういう能書き以前に面白いので、それでいいのですけどね
うるさ型の人には、受け容れがたい物語であるかもいしれないですね。
自分のこの世界の感想は、やはりちょっと無理があるなあというものですね。
ネットカフェ探偵。それも一応現職の刑事という設定に、自分はそういうものがあってもおかしくないとは言い難いです。
もちろんそこのところを受け入れることのできる人は、現代の魑魅魍魎の一つのケースとして、より楽しめたでしょうね。
それと、優秀であるはずの刑事の切れが、足りないような気もした。
もっとあっと驚くような謎が、小説世界では満ち溢れてているので、そういう作り物の世界外であるとは言えそうです。
そこは現実にあるそうな謎の範疇にあったかも知れないですね。
でも。この物語は、働く意味を探り、その意味を誠実に作者は探しているのは、読者に訴えますし、そこは自分の琴線に触れました。
・ 的を外した褒め言葉は、時には直接的なけなし言葉よりも不愉快なものだ
・ 友達のためには遠出せずとも− 敵のためには、人は遠出するかもしれない
MF文庫
ここで打ち切りになって纏めたのが分かるような描かれ方でしたね。
残念でしたね。一巻で紹介されていたキャラで生かせないものがほとんどでしたね。
グループ分けもしてあったのにね。そういう行為は無駄になってしまいましたね。
穂史賀先生の前作の「暗闇にヤギを探して」も好きな作品だったし、この作品も気に入っていたのにねえ
でも、どこか支持されないのか分かるような気もします
ここでユージくんはククルさんと一緒になる決意みたいなものを表明したことで、物語は決着したのですが、そこへいく階梯を描くところで、終わっちゃったので、最後の告白はやっぱり感を払拭できないですわね。一度宮内さんサイドへ大きく振って、それでもやっぱりというようになっていたのなら、もっと高揚した読後感になったかも知れないですね。
この巻では、実妹桐乃さんが不在の間に、黒猫さんが活躍する話ですね。
新しいキャラも登場したし、前巻からのあっち方面の繋がりも合わさえいました。
怖いものみたさで、瀬菜さんにもっとこれから活躍して欲しい気もしますね。
兄貴は、やっぱり活躍しましたね。
活躍し過ぎだろ。八面六臂とはこのことかもしれないですねえ。
兄貴の外面上の趣味が、あやせさんだと分かりましたし、秋葉で自転車を貸して人とも繋がりがここであるなんて、上手いですねえ。
ごちゃごちゃ書きましたが、そのごちゃごちゃが良く整理されているし、黒猫さんの内面を深く書いているところも好感が持てました。
桐乃さんを追いつめたフェイトさんまで出てきました。(良い人になっていますし、就職上手くいきそうです)
凄くよく出来た物語です
自分は黒猫さんを支持したい
彼女は大きく成長しました。眩しいくらいにね
・ 最近のライトノベルに見られるような、空気を読まずに性癖剥きだしの”腐女子キャラ“は、男性作家によってデフォルメされたまがいものなんです。
瀬菜さんの言葉。やっぱりそうだったのでしょうか
・ 友達というのは、永遠にそばにいてくれるものではありません。卒業、留学、喧嘩、事故、転校、病気、誤解、甘え、楽観……ちょっしたきっかけで、いなくなってしまうものです。
沙織さんの言葉。甘えとか楽観でも友達はいなくなってしまうものなんですか。深いですねえ
・ 黒猫の限らず女の子の態度には、常に「他意がある」
この物語は箴言に満ちていますね
・ オマエは我が部に恐るべき変態を引き込んでいたぞ。
誰のことを言っているのか伏せますが、名作SF「エイリアン」を想起したし、爆笑しました。
前回の大河ドラマは、個人的に大外れだったので、今回も期待はしていなかったのですが、予想以上の出来だったですね。
「天地人」が、思い切り主人公をよいしょするドラマだったのに対して、龍馬は、まだ自分のしっかりとした道筋を見つけられない若者として登場しましたね。
永遠の青春像を龍馬に見る熱き団塊の世代がそういう姿を希求した結果が、そういう像を提示させたのかな
こういう龍馬の姿は、今の若い世代の人にもシンパシーをもって受け入れられそうですね。
個人的には、龍馬のそれほど思い入れのないのですが、司馬先生の「竜馬がゆく」を読んだことがあるので、司馬先生の原作との相違にも気にはなりますね。
この一回目の放送では、土佐の身分制の厳しさとその不条理さが描かれていました。
そういうところは、もう少し説明しないと、そこまで上士という上級武士が威張っている背景に誤解を与えそうですね。
関ヶ原後に入ってきた山内家が落下傘主家だったのが原因なんですよね。
そして容易に服従しないそれ以前に土佐を支配した武士に、強圧的に対応した名残なんですよね。
それは他の地域でも、あったこととしてでも、土佐が特殊だったとは言えそうです。
ぶっちゃけ、後進地域と言ってもいいのかもしれないですね。
そういうかくも遅れたところから英雄が出現したところが、歴史の面白いところですね。
龍馬とその周りの者たちは、土佐のお家事情に翻弄されていき、その土佐一国の揺らぎが、日本全体の揺らぎへと反響していく物語が、龍馬の話なんですね。
なので、もう少し土佐の特殊性について説明があった方がいいですよね。
いつもの大河なら、どうでもよさそうなことは細かく番組の最初と最後で、説明しているのにねえ。どうしてなんでしょうか
それは数年前の大河の「功名が辻」において、浦戸一揆に繋がりますわね。
そういう非道なことをしたことを不問にしたいからなんでしょうか
それとこれも指摘せんといかんですわね。
龍馬を演じる福山さんが40を越えているのは、さすがに辛い。
龍馬は30代で亡くなっているのだから、20代の俳優が演じないといかんですよね