影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
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ある紳士の自画像
コスモポリタンズ     S.モーム     ちくま文庫より


・ どうしてこんな書物が、亡くなった牧師の蔵書のあいだに、ひょこりはさまっているのか知ら、

モームが京城に行ったとき、古本屋に入った。英書を置いている一角があり、伝道のなかでなくなった牧師の蔵書と思われるものだった。聖書や「コリント書」の評釈がある中で、ジョン・ブラックブリッジという保険計理士兼弁護士と言う人物が書いた「ポーカー大全」という本があった。
この本はモームがこんなにおもしろいものを手にいれたためしがないというようなものだった。

・ そんな安い値段で、私がこんなにおもしろいものを手に入れたためしはいままでなかったと思う。

そこに書かれていることをモームさんは気に入った。

・ 損失が元手にあたえた打撃は、それと同額の利益をもってして癒されるものではない。

・ きみのかわりに、君のチップスにものを言わせるがいい。賭博師は、無言でいるかぎり、不可解なものだ。そして、不可解ねものをこわがるものが人情の常だからだ


・ ポーカーは紳士向きの勝負である

・ ストレートフラッシュは、ただたんに、それで金もうけができるからというだけでなくて、それにはひとつとして必勝の手というものがなく、したがって、必勝を信じて賭けたりする者がいなくなるので、珍重するだけの値打ちがあることになるのだ。

モームさんのツボを直撃したみたいで、感心した箇所をいくつも引用しているのですが、自分には奥深くすぎていまいちよく分からないものもあります。
でも、大変味わい深いです。

・ つまり私たちは、人間性をありのままに肯定するよりほかありませんからね

モームさんって本当にトランプが好きですね
この話の衝撃度は7くらいにしておきましょう。


困ったときの友
コスモポリタンズ     S.モーム     ちくま文庫より


この話も日本ものです。
そして出来が良いものですね。
のっけの文で

・ 私はこれまで三十年間、仲間の人間たちを観察してきた。しかし、かれらについて私の知っていることはいくらもないのである。

自分が、モームを好きなのは、こういった文章があるところ。懐疑精神ではなく、人間への尽きぬ関心が、こういう言葉になるのだろうね。
年いけばいくほど、人間というものは、他人についての感想は決定論になり、第一印象とか、見た目での判断に多くの比率を置くようになる、
昨今のベストセラーでも、人は見た目が9割という本があったりもする。
そういった著作とは、モームの物語は逆を行くものではありますが、どうなんでしょう。

自分が考えるのは、年を行くほど決定論的なものは、避けるのが若さを保つことではないかとも思うのだよね。
簡単で、あからさまに出せるもので、結論を出せるものは、もともと簡単な問題であり、本当に難しい問題は、見た目とかで出せるものなどない。
見た目の判断で下せるものは、実は誰でもいいものであるということなのかも知れないしね。

物語を読むということは、何でどうしてということへの探求だし、実際生活で直接役立つものでもない。でも無用の用みたいなのがそこにあるということが、最大の魅力なんじゃないでしょうか。

長い前置きはともかく
ここでの話は、

神戸で会社を経営するエドワード・バアトンは、余り喋らないが、言うことに分別があり、地味な、淡々としたユーモアを持った人物だった。
モームが会ったバアトンの家族も暖かいいい人たちで、彼のやさしい心情がよく分かった。

ある時、ホテルでにバアトン会ったとき、彼は、同じ姓を持つレニー・バアトンの話をした。
この男はイギリス本国から来る送金でずっと生活するギャンブラーだった。
レニーは賭けですってんてんになってしまって、エドワードの会社に雇ってくれとやって来た。
聞くところのよると水泳が得意らしいので、垂水川の信号浮票を回って帰って来たら雇ってもいいと答えた。
すると、その言葉を信じたレニーを川を渡りきることができず、亡くなってしまった。
バアトンは、レニーが酒、ギャンブルで体がボロボロで、とても渡りきれないとあらかじめ知っていたのだ。
モームが結果が分かったいたのかときくと、エドワードは、当時会社に空きがなかったんです。とあっさり答えた


バアトンのとった態度は、必ずしも責められるものでもないかも知れないよね。
使いものにならない人物などいらないということに対して、やんわり断っても、自分に対しての風評は、けっして良くはないが、密かに亡きものにしてしまうようにすれば、そういう風評すら立たない。
今まで会って感じてきた、この人物の人当たりの良さというのは、実は底意地の悪さがあってのものだと。今回のことで判明した。

モームさんは、そのことについてはそんなに驚かないように見えるのが、面白いところ。
一見人が良さそうであるというのは、実はそうでないという事実に会うことが多いからではないか。
こういう話に接すると、見た目とか第一印象とかで判断するのは、どうなのかと考えてしまいますね。

衝撃度は8くらいかな。
家探し
コスモポリタンズ     S.モーム     ちくま文庫より

・ 女がいったん男と結婚しようと決心したらさいご、その男はすぐさま姿を消してしまわないかぎり助かりっこない。そう私はかねがね確信していたのである。


ロジャーは上手く逃げられた数少ない男の1人だった。
ルース・バロウという女と恋にロジャーが陥ったとき、モームはこの女の胡散臭さに直ぐ気が付いたけど、ロジャーはなかなか気が付かなかった。
しかしある時彼は何かの決心したようだ。彼はルースと共に理想の家探しをはじめたのだ。
二人はいろんな家を根気よく周り、その家にけちをつけるのはいつもロジャーだった。
ルースはついに根気負けして他の男と結婚すると言わせたのだった

求愛を断る方法を披露しているね。
相手を傷つけないで、やんわり断るにもコツがあるみたい。
もてないの男の人には関係ないけど

衝撃度は、意外性があったので7くらいにしておきます。
見るべき程の事は見つ
自分は、好きな言葉をいろいろ集めるのが好きなんですけど、
この平知盛の言葉は、その中でも特別かも。

見るべき程の事は見つ。今はただ自害をせん。

物凄い深い意味をもった言葉ですね。
平家滅亡という意味を含むと同時に、もっと大きい意味で、人間の営みそういう諸々の盛者盛衰そういった運命の行く末を全て、自分なりに見定めて海に身を投げ出そうということなんですね。

平家は壇ノ浦に追いつめられ、今まで付き従ってきてくれた者の裏切りも目撃。
もうここで滅ぶしかない状況。
それでも

・ ならびなき名将勇士といへども、運命つきぬれば力及ばず。されど名こそ惜しけれ。東国の者どもに、よわげ見ゆな。いつのために命を惜しむべき。これのみぞ思う事

(訳)いかなる名将、勇士といえども、運命が尽きれば力は及ばないが、誰しも名は惜しいものだ。東国の者どもに、弱みをみせるな、この期に及んで命を惜しむな、この場限りと思へ

これも知盛の言葉。
知盛は、死ぬのが怖いという当たり前の気持をもって源氏と戦い続ける、同時に平家の終焉は予想してもいる。一の谷では、我が子に助けられ、九死に一生を得たときは

今は心ぼそうこそまかりなって候へ。いかなれば子あって、親をたすけんと敵にくむを見ながら、いかなる親なれば、子のうたるるをたすけずして、かようにのがれ参って候らんと、人のうへで候はば、いかばかりもどかしう存じ候べきに、我が身の見の上になるぬれば、よう命は惜しいもので候ひけりと、今こそ思ひ知れて候へ、人々の思はれん心のうちどもこそ恥づかしう候へ

(訳)今は心細くなってしまいました。子が踏みとどまり、父である自分を助けようと敵と組み討つのを見ながらも、その子が敵に討たれるのを助けようともせず、おめおめと逃げ帰るような父が、この世の一体どこにいるのか、これが他人のことだったら、どんなに歯がゆく思ったかも知れないが、我が身のことなら、よくよく命というものが惜しいと思われます。今こそこのことが身にしみました。他人は自分のことを卑怯者と思うだろうことを考えると、ただただ恥ずかしいばかりです。

一の谷のリベンジで、壇ノ浦で底なしの勇者ぶりを発揮できたのではないのでしょう。
自分に正直であったからこそ。我が子の捨身を素直に受取ることができた。
他人から見れば、というより平家の周りの人たちは、誰も知盛を責めなかった。
ただ泣き明かしただけだったのだけど、
そういう諸々のことを背負い、壇ノ浦での大音声になり、運命を身定めることができて、縦横に戦うことができた。
そして最後に、見るべき程の事は見つと言う言葉に繋げたのでしょうか。
十分生きたという主観的な感想ではなく、冷静に見た。
ここに平家物語の熱い物語の通底に流れる冷めた思想が伺えますね。

対照的に、人間社会の実相を見定めることが最後までできなかった義経は、悲劇的な生涯とも言えますが、知盛程には、深い人間性は感じ取れはしないですね。
第三十回「将軍の母」
「生きていく為の希望なのじゃ」

次期将軍の後見人になるのは、篤姫さまの希望になったみたい。
次期将軍慶福改め家茂さんも拝謁にやって来た。

この会見の後、家茂が井伊直弼が会うと
直弼は、敵方であった薩摩のお姫さまだと釘をさす。

安政の大獄下
次々と幕政に異を唱えた者が捕らえられる。
「西郷さんの身も危なくなった。
西郷さんは月照さまと薩摩に逃れた。

厳しすぎる追及に、家茂は直弼に問いただす。
そして大奥の篤姫さまの意見を聞きに来る。

「朝廷に不穏なる動きがあり、西郷が関わっていたとの知らせがあり、篤姫さまが何か知っているのかと
朝廷との戦であると。不貞な奴らは尽く潰すと」

と直弼さんは言った。
篤姫さまを牽制した。
更に、直弼は篤姫の後見役を免除するよう画策しようとするが、
家茂は、それを退け、改めて篤姫さまを後見人になってもらおうとする。


そして篤姫さまが大奥から下がる時が来た。

「みんな去って行く。」

「御台さまから大御台さまになりましたのだから仕方ありませぬ」
と幾島さん。

薩摩の西郷さんは危機に
尚五郎さんは、なんとか西郷さんを救おうとする

と共に逃げていた月照さんと西郷さんは船に乗って繰り出し、
海に身を投げた。

薩摩の下級藩士の中に、幕府への不満が渦巻く。

西郷さんは危ういところを助けられていた。

幾島さんのところに、西郷さんの安否の知らせがあった。
幾島さんは、薩摩の様変りを知った。
その知らせを受けた篤姫さまは、

「西郷が生きているだけで希望じゃ」



家茂さまが正式に次期将軍になった。

篤姫さまと家茂さまの関係は良好なものに、
蹴躓いた篤姫さまに

「母上様大丈夫ですか」

「母上さま」という言葉に、篤姫さまはショックを受けたみたい。

でも家族と言う言葉にほんのりもする。


「私は一人残されたわけではなかったのですね。」

家茂さまはいい人みたいだ。


「私にとっては家茂さまは希望なのじゃ」

幾島さまは、天璋院さまの新たな老女の重野を紹介する
そこで、衝撃の告白がある

「幾島、このあたりで大奥から下がりたいと思います。お暇を頂きたいのです。」
「私は私を許せないのでございます。どうか私の身勝手をお許しください。」

幾島さんが去ってしまう
テレビを見ていた自分は大ショック。

篤姫さまもショックを受けたみたい

今回は実に地味な回でしたね。
只今忙しいのですよ
現在自分は忙しいのですよね。
なので、新刊本を読むより、既読のものをと都度ごとに読み返してばかりしています。
後1,2週間はこういう状態が続くと思いますね。

モームの「コスモポリタンス」と片山憲太郎先生の「電波的な彼女」ばかり読んでいますね。
自分の老後の無人島に持っていきたい本(自分の中の殿堂入り)に、「電波的な彼女」が入りましたね。(ちなみに「コスモポリタンズ」も自分の中殿堂入りの作品です。)
ライトノベル関連からは、3冊目になりますね。
「マリア様がみてる」「紅」に続いてですね。

自分の中の殿堂入りの、他のライトノベル関連の候補作は、「流血女神伝」「文学少女」「とらドラ!」などがありましたが、これから入るのは難しいかも知れません。
そういったことを考えて見れば、「電波的な彼女」の殿堂入りは快挙ですね。

同じ作家で自分の中殿堂入りに、2冊入っているのは、今のところは、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」とトルストイの「戦争と平和」「アンナカレーリナ」に続いてになります。
ギャリコについては、「さすらいのジェニー」に続いて、後1,2作入れるかどうか検討中ではあります。

マンガ関連では、「魔法先生ネギま!」「おたんこナース」「柔道部物語」の3冊が殿堂入り。
候補作として残念なものには、「福家堂本舗」「スラムダンク」「聖高校生」「のだめカンタービレ」「きららの仕事」などがありました。

まだまだ、自分の中の殿堂入りの100冊には、枠が空いているのです、これから入ってくる作品が、どんなものになるのか、自分としては楽しみですね。
他人の評価は、一切気にせずに、自分が本当に好きなだけのものをもって、日がな一日そういう本を読んで暮らしたいですね。
物識先生
コスモポリタンズ     S.モーム     ちくま文庫より

日本ネタだ。船上ですけどね。
それにこの短篇集の中でも最も出来の良い話なのかも。

モームが第一次大戦終了直後、サンフランシスコから横浜行きの船に乗ったとき、個室を取ることが出来ず、二人部屋になってしまった。
同室のケラーダ氏は名前からすると中近東出身者であり持っている荷物からすると、余り好い印象を持てなかった。
実際会ってみると、よく喋る博識の男だったが、最初の印象通りだった。
ケラーダ氏は船旅の全てのイベントに顔を出し、誰かにかまわず、博識を披露し、モームにをはじめとする船客たちは、影で物識先生と呼び揶揄した。

ある日、神戸の領事館に勤めるラソーダ氏と口論となった、それはラソーダ氏の細君がつけている真珠が本物で高価なものだと、真珠の仲買もしているケラーダ氏が言ったのに対し、ラソーダ氏はこれはニューヨークで安く買った物だと言ったことからだった。
それでは、100ドルを賭けて真偽を判定しようと言うことで、ケラーダ氏が手に取ってみて、すんなり100ドルをラソーダ氏に渡した。

その後ケラーダ氏は船客の笑いものとなったが、翌朝、船室に一通の手紙が挟んでいた。それは、ケラーダ氏が渡した100ドル札だった。
モームがあの真珠は本物だったんですかと聞くと、ケラーダ氏は「もしぼくがきれいな可愛い細君を持ったら、自分が神戸にいるあいだ、細君にニューヨークで1年もすごさせるようなまねはしないね」、この瞬間ケラーダ氏を嫌いでなくなった。

・ だれだって大バカ者に見られるのはいやなもんですよ

これは、要はラソーダ氏の細君が旦那に隠れてが単身赴任している間に、何かがあったのでしょうね。そういう背景をケラーダは知って、あえて笑い者になった。
一見、お喋りな軽薄に見えて、奥深い人物だったと。

衝撃度は高いですね。8くらいかな。

生家
前作に続いて良い話ですね。

・ 彼らは紳士淑女になろうなどという、新しがり屋の持つような考えななど別にもちあわせていなかったし、自分たちの置かれた立場をよくわきまえて、かつそれを誇りにもしていた。私はこれほどまとまった家庭というのを見たことがない。みんな陽気で、勤勉で、親切だた。そこでは家長中心の生活が送られていた。

というようなモームさんが、理想とする家族の話ですね。

300年も続く旧式な石造りの家に生活するメドウズ一家は、屋敷と同じく、鈍重だったが、逞しく、気取ったところのない陽気で、勤勉で、親切な人たちだった。ここの家長は。齢70才のメドウズ婦人だった。婦人は一かどの人物で。好意と鋭いユーモアを備えていた。

ある時モームは、その家の嫁から家に招待された。
それは、52年前メドウズ婦人に、弟のトムと共に求婚してが、婦人がトムを選んだために、船員になったジョージが52年ぶりに帰ってくるとのことだった。

モームが中国に長らく行っていたので、話相手になって欲しいので来てくれと言われた。家にいってみると、ジョージは車を降り楡の木に道を歩い家まで来れたことを楽しそうに話し、自分の人生に後悔はないと言った。

・ 人生には成功したのだった。それを楽しんで送ったからである。

翌朝その家にまた行ってみると、ジョージが亡くなっていた。婦人はジョージの為に花を摘んでいる途中だったが、モームにこう言った。「わたしは、ジョージが帰ってきてくれて嬉しいの。トムと一緒になって、ジョージが飛び出してしまってから、実を言うと、私の選んだ相手が正しかったかどうか、はっきりしなくなったんですものね。」

・ 運命の神は親切だった。死はちゃんと正しい場所に終止符を打ったのである

最後の老婦人の言葉は、意味深長ですね。
味わい深い話です。

衝撃度は、余り無いかも。3くらいにしておきます
ふーむ、女性は男のロマンとは関係ないところでいきているのねえ。深い話だ
漁師サルヴァトーレ
コスモポリタンズ     S.モーム     ちくま文庫より


のっけの文章は

・ さあ、私にそんなことができるかどうか疑問である。

どういう話になるのでしょうかね。何をモームさんは言いたかったのでしょうか

モームがサルヴァトーレに会ったのは、彼が15才のときだった。彼は島から出たことがなく、いつも口許の笑みを浮かべるわずらいのない瞳をした少年だった。
彼は島の美しい娘に恋をして婚約した.
軍務につかなくてはいけなくなり、軍船に乗った。その軍務は彼には大変つらいものだった。中国まで派遣されたとき、そこで病にかかり、もとの健全な体に戻れなくなってしまった。軍を除隊し島に戻ってみると、あの娘は婚約を解消してくれと言った。

・ 一人前の男なみに働くだけ丈夫になれないような男とは結婚することはできない。

彼は黙って受け入れた。彼は島で違う娘と結婚した。その女は鬼婆のような容姿で年上だった。、子供をもうけ、毎日朝から晩まで懸命に働いた。彼は少年時代のあの無邪気な微笑と、信じきった優しい眼差しはそのままだった。

世界を旅したモームさんにとって、その漁師の見せる微笑みが、奇跡のように思えた。
ただの善良さ。
そのことが得がたいものに見えたのでしょうか

衝撃度は6くらい。
じわじわと迫ってきますね。この話は詩情があって美しいものでもあります。
何度も読み返したい話であります。

只今過去ログに頼った運営になっております
このブログのアクセス解析ができたことで、いろいろ分かったことがあるね。
自分としては、残念なんですけど、このブログには常連さんは、ほとんどいないみたい。
やっぱ自分の筆力に問題があるのでしょうね。

それと最近のアクセスのほぼ半数が篤姫さま関連。
自分のドラマ篤姫の記事を書くスタイルは、書きながら見ているだけ、大したことは書かれていません。
但し、最近の幾島さんの描かれ方には、少し不満があります。
幾島さんは、次期将軍に慶喜を押すための目付役として大奥に送られてきた側面ばかり強調されていますが、幾島さんは、篤姫さんの大ファンである側面。篤姫さんが褒められてれば嬉しいし、貶されれば怒るというところは、余り描かれていないのは不満です。

話を戻すと
2年弱も運営していると、初期に書いたものには、不満があるものが多いですね。
基本的には、このブログの記事は感想を述べるというより、備忘録的なスタイルを主として開始したものだったので、それは仕方ないのですけどね。

それとライトノベルというものは、実に感想が書きにくいですね。
ストーリー等のネタばれ問題にいつも突き当たってしまいます。
謎的要素のないものは、もっと踏み込んで書いてもいいのかも知れないのですが、新しく書かれたホッカホッカの作品に、なんらかの感想を書いてしまうというのには、いつもこれでいいのかという気がしてしまいます。

そこのところを上手く処理して書いているブログには、感心します。
なので、ライトノベルの感想とか動向を知りたい人は、そういう良心的なブログを索引するし、そういうブログは人気になっています。

自分のブログは、そこのところは未消化だし、絶版本の感想を延々と書いてしまっています。
あんた何処行くねん状態です。
過去ログばかりの閲覧になってしまっているのも。実は当たり前と言えますわね。