影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
優しいコメントは大歓迎です。
<< August 2007 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
SPONSORED LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
アカウント
広告
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | - | pookmark
栄光の岩壁
栄光の岩壁      新田次郎      新潮文庫


この本は、戦後日本山岳界で活躍した人物の自伝的小説だね。

内容は4章からなっていて、
第一章  傷ついた戦後派
第二章  山に賭けた青春
第三章  結婚
第四章  二つの北壁
となっていて、
戦後の先の見えない時代に、友の無謀な登山に付き合わされて、両足の先を失い、そしてその友人も失った主人公の岳彦が、山を登ることで、数々の苦難にあいながらも様々の経験をし、そして幸せな結婚をして、日本人初のヨーロッパ三大北壁の一つを登頂することに成功するところまで描いた小説だった。

兎に角、何故人は山に登るのかということについて考えさせられるのは、「孤高の人」と同じだけど、岳彦さんがロマンチストで、女性に本人が知らないうちにもてもてというのは、「孤高の人」とは違っていたね。
最後のマッターホルン北壁登頂は、圧巻で血みどろになりながら、後輩の暖かい支援もあって成し遂げたところは、感動的だった。
自分も読んでいて、何かやり遂げたという気がしたし、拍手したくなった。

現在では、こういうような山男はもういないのじゃないかね
いたとしても小粒になっているのだろうね。
更に言えば、終戦後の熱風のような登山熱も過去のものになってしまったのかもね



抜き出してみると


・大学へ行かなくても、大学で勉強するくらいのことは自分でできると思うんです。それよりもぼくは、大学へ行っても決して教えて貰えないような生きた勉強をしたいと思うんです。

いつの時代も若者は、こういうことを考えるものなんだね



・「あのカリンが一個だけ残っているために西山荘は生きて見える」
「でもあのカリンは、明日の朝の霜で落ちるかも知れないわ」
「落ちても。この風景がぼくの心に生きている限り。西山荘は生きている」
「私にはカリンが落ちた姿しか見えないわ……絶望だけが………ほらカリンの小枝が風揺れている」
「あなたのように、若くて美しい女に、絶望なんて言葉がありようはずがない」
「若くて美しい? 山男はお世辞は言わないと聞いていたのに……」

とかとか、愛し合う男女の会話にしては不思議な感じがするわね




・出血多量で倒れるか、この尊い血で勝利を得るか、それは賭けのようなものであった。
岳彦はそれまで物事を悲観的に考えたことはなかった。いかに追いつめられても最後は必ず彼の方に光はそそがれた。それまで彼は幾度の生命の危険にさらされたか分からない。その度に彼はそれを切り抜けて来たのだった。絶望は敗北であった。悲観は絶望の前提だった。



・「へんかも知れないな。しかし、今のおれには栄光の岩壁がまぶしすぎてならないのだ。あのマッターホルン頂上の十字架の下に立つまでの長い年月の間、ひと筋に山に賭けてきた自分自身が可哀想でならないのだ。」
赤朽葉家の伝説
赤朽葉家の伝説     桜庭一樹     東京創元社


桜庭さんの直木賞候補にもなった本を読んでみた。
読後まず思ったことは、この本では直木賞は無理だったということかな。
賞を貰うような本は、欠点が少ないものが選ばれるからね。
この物語はその点では、評者に指摘されやすいところが多々あるみたいだ。
滅法面白い本には違いないけどね。
面白ければいいじゃんと、賞を与えてくれるようなものではないからね、直木賞とかはね

自分のミステリーを評価する基準の一つに、二段組の単行本を出せるかどうかがあるんだ。
なぜなら、量を書けない作家に面白い本は余りないと個人的に思っているからだ。
この本はその基準をクリアーした。
これから桜庭さんは、自分にとってはますます目を離せない作家になったね

3部から成り立っており、それぞれの主人公は、祖母、母、娘の三代の物語であるのと同時に、日本の近現代史も絡めて話は進められいた。それは

第一部 最後の神話の時代 1953年〜1975年 赤朽葉万葉
第二部 巨と虚の時代 1979年〜1998年 赤朽葉毛毬
第三部 殺人者 2000年〜未来  赤朽葉瞳子

それぞれの時代をそれぞれの主人公共に描いていたが、第一部、第二部が時代をかなり詳しく描いていたが、第三部の現代では、瞳子の身辺の話が中心の、祖母が殺人者だったのかという謎解きの話だった。
それぞれが、違うニュアンスをもっているので、それぞれ分けて感想を書いていってみようかな。


まず第一部から、
ここは、山の民に捨てられて、若い夫婦者に育てられた万葉は、赤朽葉家というその地方の旧家から求められ、嫁としてその家に入る。

ここでは千里眼である万葉が、戦後花形職業だった職工との交流。万葉をいじめていた黒菱みどりとの逸話。とかが語られていた。
その時代性について多く語られていたね。
当時、花形だったその職業の盛衰を描くことで、日本の近現代史の明暗を描いていた。
この辺の力技は見事だったね。


抜き出してみると

・母親は忙しさのあまり子供たちにかまわなかったが、ときおり万葉の横に通り過ぎるとき、割烹着のポケットに手を入れて、煎り豆を一粒、口に入れてくれた。ぽりぽりと噛んでいると、「おいしい?」と微笑む。万葉はうなずく。

さりげないけど、この感じ良いよね
幸福とは、こういうものなんだろう



・働くのも、何ごとかを為すのも男たちちの役割、責任で、わしら女は、影の、また影。そんなふうにのんびりと日々を生きてきた。

そのように、のんびりしていかなくなっていくんだわね




どうして万葉を拾って育ててくれたのかという問いに、育ててくれた母は

・「誰かが育てな、思ったのよっ。わしらがいちばん若かったし。男はよぅく働くのがいちばんじゃし、女はよぅく生んで育てるもんでしょう。わしらはそう信じて生きちょったし、そしたら、人が産んだ子でも、関係あるまいね!」

良い時代だったんだね




・男らしい男の時代が、輝く過去を惜しむように振り返り、振り返りしつつ、それでもゆっくりと紅緑村から去ろうとしていた。

良き時代が去っていってしまうんだわ




・この国で働く男に必要なのは、フットワーク、スキル、ライセンスの三つであると説いた。

今もそうなんだけど、空しい感じはするわね。




第一部は、去りゆき時代と万葉の子供たちの誕生の物語だったんだけど、
第二部は、万葉の娘の毛鞠の話で、はちゃめちゃなんだわ。面白いんだけど、その時代を生きた自分としては、本当にそうだったのかなとも思ったりもした。
散漫であるとも言えるかも。

東野圭吾さんの「白夜行」とちょっと似たような描き方だったように感じたわね。
「白夜行」の統一性のある描き方と比べて、こちらはかなりマンガチックに描かれていたし、出てくる人物もぶっ飛んでいたわね


ここでも抜き出してみるといくと


・「いまが、楽しければ、明日死んだって、わたし、かまやしないよ。だって、青春なんだもん」

あんたは孔子さんか、チョーコさん




・「恋をすると、未来を持たなくなるね。時間が止まればいいのに」




・不良文化は、若者たちの共同の幻想であった。そこには漠然とした天下統一や喧嘩上等の思想があったが、なんのために戦うのか、走るのか、中心部は空洞であった。そしてだからこそ、若者は燃えたのだ。なにもなかったからこその熱狂でった。

自分もその通りだと思うわね。
しかし、現実に毛鞠ちゃんみたいに、真面目に戦っていた人は、限りなく少なかったような気がする。




「いじめられるほうにも、原因があるって」
という先生の言葉を聞き、猛女である毛鞠さんは、弟を抱きしめ

・「そんなこと、あるもんか。それは大人のいいわけだ。そんなことを言うセンコーは、人間の屑だぜ」

その通りだ。そんな奴は屑だ。




・「鞄、青春がいつ終わるのか、わたしわかったヨ」
「いつなのよ」
「………取り返しのつかない別れがあったときさ」

詩人だなあ。毛鞠さん



第二部は、その時代を描いてはいたが、毛鞠という女の闘争記でもあったし、腹違いの妹白夜との愛憎。かけがえない友だったチョーコとの別れとかを描いていたね。
80年代はそういった感じだったのかな。この通りだと、変な時代だったのかも。
そういえば「湘南爆走族」とかのファッションは、今の時代から言えばおかしいし、「湘爆」も今の若者たちからは、変な物語なのかもね



そして第三部なんだけど、ここでテンションが、ガタッと落ちてしまったみたい。
出てくる人物にインパクトはなくなったのが原因なんだろうか
万葉の孫、毛鞠の娘の瞳子は、平凡な女性だ。
そしてその平凡な女が、赤朽葉家の過去の謎に迫ると同時に、自分探しをする話なんだけど、前の話が面白すぎたので、物足りなかったわね。

最後に、その謎を解くことで、それぞれの時代がつながったということで、大団円だったのかな

神様のメモ帳 2
神様のメモ帳 2     杉井光      電撃文庫


2巻目を読んでみた。
この巻は、父親が失踪したとのことで、タイの女の子から捜査を依頼されたニート探偵局の話。
なんかハードボイルドチックだったね。
ナルミ意外といけてるじゃん。
とか思いながら読んだ。

が、出てくる人たちは、社会のはぐれ者であるはずのニートたちなのに、それぞれ能力が高すぎだわ。
君たちは、いったい何者なんだ。
それなのに、アリスちゃんは、その中でも一番変わっているし、能力が高そうなのだが、実はそれほど、凄くないのは、どうしてなのだろう。

どうしてなのかしら。


いろいろ抜き出してみると


・起きたかどうかもわからない奇跡が壊れるのを恐れるきみと、ありもしない世界中の敵意におびえるぼく。きみはぼくを嗤わなかった。だからぼくもきみを嗤ったりはしない。

アリスちゃんは哲学者だ。でも悩むのが青春の特権としても、限度を超えているのかもね



・探偵は地道な努力が大切だからな

やはりニートと探偵は両立しないよね



・ぼくの言う探偵というのは、死者の代弁者のことだ。

探偵とは、かくも奥深い職業なんだね



・「まずばれない脱税方法があるんだがマスターは知ってるかい。」
「憶えておくといい、ほんとうに簡単だ。儲かったお金を申告せずに隠して、それを絶対に使わないこと。それだけだ」


この本の自分の好き度は、まだ7くらい。
これからもっと上がっていきそうなんだけど、どこかひっかかるところもあるのかな
二万ヒット有り難うございます
ちょっと暫く、家を留守にしていました。
その間に、二万ヒットしているみたいだ。

訪れた方、有り難うございます。

ブログ開始から一年ちょっと、低空飛行ながら、二万回もヒットしていただいたことには感慨はありますね。
おそらく一万以上は、本人ヒットでしょうけど

何しろ、このブログは、本を読まなくてはを更新できないので、現在夏ばて気味の、私どもの更新は、途絶えがちですね。
でも、現在も「神様のメモ帳2」と「栄光の岩壁」を並行して、のろのろと読んではいるのですよ。(明日には記事をアップできるかも)

懸案の「五輪の薔薇」は、リタイアです。
再度、またチャレンジします。
「収容所群島」の方は、自分が生きている間に読めたら良いと思っています。
「細雪」は、一応のろのろ読み進めてはいます。そのうち感想記事をアップできるかも。

この夏は、暑くて、読書しているより、のんびりテレビを見ております。
世界陸上とかけっこう面白いですよね。

秋になったら、更に更新回数は減るかも知れませんし、おじんくさい本を取り上げることが多くなると思います。
あしからず
神様のメモ帳
神様のメモ帳       杉井守      電撃文庫


この本は読み応えがあったね。

内容は、ニート探偵のアリスちゃんが活躍する安楽椅子探偵ものなんだけど、ニート予備軍の主人公のナルミと高校同級生の彩夏との交流を主に話が進められるのだけど、そこで事件が起こって、ナルミがラーメンはなまるに集うニートたち、そしてアリスとその捜査をする。

というもの
表紙と挿絵の絵が、言いようもなく素晴らしくて、この絵を見て買ってしまった人も多いのかも。

ドラッグと謎の事件。
名作ディックの「暗闇のスキャナー」を思わせるし、ティプトリー・ジュニアの「たったとつの冴えたやり方」の文言を引用しているところからみて、作者はSF的な感覚でこの本を書いたみたいだ。
でも、個性的なニートたちの群像を描きたかったから書いた本とも言えるわね。
この本の中でニートと自分のことを呼んでいる人たちは、みんなそれぞれ能力が高く、ニートとして生きる必要もなくても、そういう生き方を選ぶというのだから、誇り高き人々なんだろう。

一方、アリスちゃんが、思ったほど活躍しなかったのは、マイナスポイントなのかも



少し抜き出してみると

・ただの探偵じゃない。ニート探偵だ。調布と田園調布くらい違うから気をつけたまえ


・神様のメモ帳の、ぼくらのページにはこう書いてあるのさ。「働いたら負け」ってね。他に理由はない


・「これが女子高生用、こっちが奥様用、これは落としている最中の娘の攻撃用、んでこれが、あんまり好みじゃない娘からに防御用」とかなんとか、それぞれの携帯をいちいち説明してくれた。攻撃用? 防御用?


この本は、自分の好き度は今のところは7くらい。
まだまだ上がっていきそう
孤高の人
孤高の人      新田次郎      新潮文庫  


この夏に読もうと思っていた本のうち一番手をつけやすそうなものを読んだ。

この本の内容は、
戦前に、神戸の造船所で、造船技師として働いていた加藤文太郎の生涯を追った小説だった。

兎に角、仕事にも山へも厳しい人で、戦前の本当に気骨のある人だったね。無謀とか思われたヒマラヤへの思いの為に貯金を長年行い、神戸の山中で、日々厳しい山行きを行い、有給を取って、日本アルプスへの登山を繰り返す、それを他人とパーティーを組まずに独歩で行った。
何故人は山へ登るのかというのを、反芻して問うているような話だった
文中から抜き出してみると

・山があるから山へいくのだ。山がなければ行きたくてもいけないだろう。がしかし、山がない場合、彼はどこへもいかずにぼんやりしていられるだろうか。

とあるように、山がなくても加藤さんは、どこかを歩き回っていたのだろう。
そこまでして、動き回らなくてはいけない衝動はなんだろう。
というようなことを、この小説は描いていた。
加藤さんの周辺の人間は、青春を楽しむもの、道を踏み外すもの、加藤さんを暖かくみる人、よく思わぬ人といろいろ出てくる、
その中でも、まっすく決めた目標を見つめ、そこへ一歩一歩進んでいく加藤さんの生涯は、本当に清々しい。

が、最後幸せな結婚をし、暖かい家庭を持ったはずなのに、
鬱屈したもの抱える無理な若者の冒険に付き合わざる得なくなり、亡くなったのは残念なことだったね
ローマ人の物語 15 ローマ世界の終焉
ローマ人の物語 15 ローマ世界の終焉    塩野七生     新潮社


ローマ人の物語の最終巻を読んだ。
自分は、10巻のローマのインフラについて書かれた「すべての道はローマに通ず」以外は、半年くらい遅れてではあるがリアルタイムで読破できたことになる。
読み始めたのが、15年前というのは、考えて見れば凄いことだわね。

この最終巻は、3部からなっていて
第1部 最後のローマ人
第2部 ローマ帝国の滅亡
第3部 帝国以後
となっている。

そしてこの3つの編は、それぞれが独立したかのような印象を与えるね

まず第1部は、最後のローマ人、ローマのスピリッツを持ったスティルコの物語。
ローマがローマであり続ける為、前皇帝との信義の為に、ローマに忠誠であり続けたスティルコは、最後は非業の死を遂げる。そしてその死によって、ローマの崩壊は決定的になり、あらゆる行為は手遅れとなったかのようだ。
ギボンの「ローマ帝国衰亡記」では、あっさり著述されていたスティルコに対し、塩野先生は、かなり詳しく、慈しむように書いているところは、塩野先生の「ローマ人の物語」が、個人の著述中心で、ローマのスピリッツを抱く人物を描くことで、ローマ世界を描くというスタイルを取っているからからだろうね

第2部の「ローマ帝国の滅亡」は、スティルコ亡き後、あっというまに瓦解していくローマの中での、存続の努力。
無能な皇帝、宮廷でありながら、それなりの人物が出て、なんとかやっていこうとする、でもそこで登場する、アエティウス等には、ローマのスピリッツはもうなかったりする。
そこで、トドメのフン族のアッティラが登場し、最後は眠るように西ローマ帝国は滅亡。

第3部の「帝国以後」では、ローマ帝国滅亡後、その支配者になった蛮族のオドアケルや東ゴート族のテオドリックの支配は、善政であった。
が、カトリック教義を信奉しないその王国に対し、東ローマ帝国のユスティニアヌスが軍を派遣してくる。
そこで、ローマ世界のインフラ、人、モノなど全てが、戦火に巻き込まれて、破壊されてしまう。
ローマの息の根を止めたのは、蛮族ではなく、同胞であるはずの東ローマ帝国だったのは、歴史の皮肉なんだわね

やっぱり共感もできたし、面白かったのは第一部のスティルコの活躍だね。
孤軍奮闘だが、鮮やかで爽やかな人物だね。
自分の好きなローマ人の中でも上位に占めそう


いろいろ抜き出してみると

・人間の運・不運は、その人自身の才能よりも、その人がどのような時代に生きたか、のほうに関係してくるのではないかという想いだ。


・「共同体」と「個人」の利害が合致しなくなることも、末期症状の一つであろうかと想ったりしている。そして、公共心も、個人が、自分の利害と自分が属する利害は連動する、と思えた場合に発揮されるものではないか、と。


・シビリアンとミリタリーは完全に分離されたのだが、それによって両者の質が向上したわけではなかった。いや、その後の両者の実績を見ても、質が落ちたとしたほうが妥当かもしれない



・伝統とは、できることならば変えてはならないこと、であり、伝統でないということは、たとえ変えようとたいした効果は期待できない、ということでもある。



・宦官の行う統治が厳しく圧制的で、徴税も情け容赦もなく施行され、しかも収賄・贈賄は日常茶飯事、と言われたのもそれゆえである。人間的なしがらみが薄いと、なぜか人間は私服を肥やすことに熱中するようになる。
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸    入間人間     電撃文庫



自分は事前に情報を入れないで、本を購入して、読む人間なんだが、この本を読んでみて、これはなんじゃと思った。
ライトノベルで、この種の話を読むとは思わなかった。
が、ぐいぐい引き込まれてあっというまに読んでもしまった。

内容は、過去に誘拐拉致された過去を持つ、高校生の男女の物語で、現在の壊れまーちゃんと嘘つきまーくんは、ある小学生の兄妹を誘拐拉致しちゃっているんだね。

なんでも書いていいというものでもないだろうにね。
問題作だが、こんなの本にしていいのかね

ただ生きていることは、矜持というものもあるわけで、過去にいろいろあっても、そういうものを表に出さず、前向きに生きている人も多い訳で、過去にとんでもない経験をしたからといって、そういう人たちが全て壊れてしまうことはない。
そういう可能性があっても、なかなか人間というものは強いものだと、おじさんは思うよ。

昔の映画で、不幸な体験をした少女は、社会を見返す為に猛烈に働きだす。というものがあった、矛盾はするけど、人間というのは、そういうような行動をとるものでもあるんだよね。
じゃなかったら、日本人はあの戦争後の廃墟から、立ち上がられなかっただろう。

一人称で書かれた文体は力強いわね。訴えたいものがあるんだね。
訴えたいものがあるからこそ、書くというのは、物書きとしてしては一番重要なんことで、こういう一本どっこで勝負というのは、潔いので、そういうところも評価したいわね。


自分の好き度は7くらいかな
やはりこういう話は嫌いだわ。
ダナーク魔法村はしあわせ日和 ドラゴンが出たぞ!
ダナーク魔法村はしあわせ日和 ドラゴンが出たぞ!     響野夏菜    コバルト文庫


長い題名だ。
この巻の内容は、ドラゴンが出たんですよ。
それに伴う諸々でいいのかも

ダナーク村の警察署長のイズーも、村に大分馴染んできたみたい。魔法を見てもそんなに驚かなくなったし、ダナーク村の村長で魔女長のアガートに無理なことを言われても、すんなり従ってしまう。
そこで、今回は230年ぶりにドラゴンが出たということで、ビーと共に見に行ってこいといわれてしまう。

そのドラゴンがなんでいるのかが問題なんだが、これがこの巻での問題なんだわ
普通の警察署長はそんなことしないわね。公務員の仕事を逸脱しているね
イズーの過去の因果も語られており、物語全体の進捗もあった。ビーとの関わりもちょっと変化があった、いろいろと話も進んでいるのも嬉しいところだね

こういう話の展開のさりげなさは、上手いね。作者は練達者だわ。



抜き出してみると


・ずいぶん、落ち着いているじゃないかイズーファー

アガードに見込まれてしまったのかな、署長さん


この巻の自分の好き度は8くらいです。


世界平和は一家団欒のあとに
世界平和は一家団欒のあとに    橋本和也     電撃文庫


この物語の内容は、異世界から召還された両親を持つ、とてつもないパワーを持つ家族の話。日々正義の為に戦っている兄弟姉妹の話ということになるのかな

ディズニーアニメの「Mr.インクレディブル」みたいなものなのかも
雰囲気がちょっと違うけど、まあアメリカの家族と日本の家族の違いはあるから、日本ではこうなのかもね

ここの兄弟は、掟破りだよね。
強すぎだよ。
姉の七美なんて宇宙レベルで活躍だもんね
最初から、強さがインフレーションしているわね。
個人的には、もうちょっとセーブして序々に能力を高めていくようにしている方が良かったと思うのだけど

この巻は顔見せみたいな位置づけなのかも
これから、いろいろなことが始まるのかな


自分の好き度は7くらいかな
お馬鹿な話は嫌いではないので