影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
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見るべき程の事は見つ
自分は、好きな言葉をいろいろ集めるのが好きなんですけど、
この平知盛の言葉は、その中でも特別かも。

見るべき程の事は見つ。今はただ自害をせん。

物凄い深い意味をもった言葉ですね。
平家滅亡という意味を含むと同時に、もっと大きい意味で、人間の営みそういう諸々の盛者盛衰そういった運命の行く末を全て、自分なりに見定めて海に身を投げ出そうということなんですね。

平家は壇ノ浦に追いつめられ、今まで付き従ってきてくれた者の裏切りも目撃。
もうここで滅ぶしかない状況。
それでも

・ ならびなき名将勇士といへども、運命つきぬれば力及ばず。されど名こそ惜しけれ。東国の者どもに、よわげ見ゆな。いつのために命を惜しむべき。これのみぞ思う事

(訳)いかなる名将、勇士といえども、運命が尽きれば力は及ばないが、誰しも名は惜しいものだ。東国の者どもに、弱みをみせるな、この期に及んで命を惜しむな、この場限りと思へ

これも知盛の言葉。
知盛は、死ぬのが怖いという当たり前の気持をもって源氏と戦い続ける、同時に平家の終焉は予想してもいる。一の谷では、我が子に助けられ、九死に一生を得たときは

今は心ぼそうこそまかりなって候へ。いかなれば子あって、親をたすけんと敵にくむを見ながら、いかなる親なれば、子のうたるるをたすけずして、かようにのがれ参って候らんと、人のうへで候はば、いかばかりもどかしう存じ候べきに、我が身の見の上になるぬれば、よう命は惜しいもので候ひけりと、今こそ思ひ知れて候へ、人々の思はれん心のうちどもこそ恥づかしう候へ

(訳)今は心細くなってしまいました。子が踏みとどまり、父である自分を助けようと敵と組み討つのを見ながらも、その子が敵に討たれるのを助けようともせず、おめおめと逃げ帰るような父が、この世の一体どこにいるのか、これが他人のことだったら、どんなに歯がゆく思ったかも知れないが、我が身のことなら、よくよく命というものが惜しいと思われます。今こそこのことが身にしみました。他人は自分のことを卑怯者と思うだろうことを考えると、ただただ恥ずかしいばかりです。

一の谷のリベンジで、壇ノ浦で底なしの勇者ぶりを発揮できたのではないのでしょう。
自分に正直であったからこそ。我が子の捨身を素直に受取ることができた。
他人から見れば、というより平家の周りの人たちは、誰も知盛を責めなかった。
ただ泣き明かしただけだったのだけど、
そういう諸々のことを背負い、壇ノ浦での大音声になり、運命を身定めることができて、縦横に戦うことができた。
そして最後に、見るべき程の事は見つと言う言葉に繋げたのでしょうか。
十分生きたという主観的な感想ではなく、冷静に見た。
ここに平家物語の熱い物語の通底に流れる冷めた思想が伺えますね。

対照的に、人間社会の実相を見定めることが最後までできなかった義経は、悲劇的な生涯とも言えますが、知盛程には、深い人間性は感じ取れはしないですね。
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