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昨日「もしドラ」を読んだので、家に積んでいた、この本を読んでみた。
今度はバフェットだ。
バフェットさん自ら登場しているのが、もしどらとは違ってますね
設定もカップル?のタイムトラベラーものです。
おもむろにチューリップバブルの17世紀オランダに飛び、20世紀初頭のドイツ、アメリカに飛びます。
ヒロインのユノが、経済史の捩れを修正する使命があるので、ポイント、ポイントに話が飛び、それぞれの時代においてキーになる人の行動を正ます。
そして、バフェット自身も女性になって登場。
そこで、この本で銘記するべき教えが語られます。
前提になる話があって、バフェットの話を理解できるような仕掛けになっている訳ですね
最後に日本のバブルに飛び、主人公自身の捩れにも手をつける
そこで、タイムパラドックスが、どうなる
というようなものでした。
高校生にも理解しやすいような超入門書ですね
・ 安全余裕率
これで割安な株式さえ見つけることができたら、たとえ損をしたとしても、それは大きな傷口にはならないってわけ
・ みんなは株式市場をカジノか何かだと思っているけど、それって違うと思うの。そりゃ確かに短期的には博打そのものだけども、長い視点に立ってみたら、自然と企業はあるべき姿へと成長を遂げていく。それに手を貸すことが投資家の役割だって私は思うんだ。
2、3年前の代ベストセラー。アニメ化にもなった本を読んでみた
。以前から読もう読もうと思っていたのですが、アニメを見ていたので、それでいいかと納得してたのですが、
人々が忘れた頃にこっそり読むのは悪くないのじゃないかと思い至った。
昨年の100分間名著でも「マネジメント」が取り上げられ、作者自ら出演して、考えを述べておられた。
一番作者が言いたかったことは、はっきりしてまして、それはマネジャーの資質で一番重要なのは真摯さ。
真摯とは何なんだろう
そこを軸に、この小説は語られているし、ヒロインのみなみも涙を流す程感動していた。
どう野球部をマネジメントしていったのかが内容なのだか、そこはまず話を聞いておこうというような態度で読んでいかないと、突っ込みたくなるところが多いので、読む通せるのに苦労するのかも
思考実験というか、一つの試みとして、そういうのもありなのかと醒めた感じで読むか、純粋に小説の出来事として読みすすめていかないとダメですなあ
同じようなことを繰り返し書きましたが、読後、直、感じた感想は、この高校では甲子園に行くのは無理だ。偏差値の高い、大変物分りの良い生徒ばかりいる高校だなあ。
というもので、ドラッガーの教え云々よりも、そういったものを分離して読んでいかないと、いかんと思う
良書なので、批判はしたくないのですけど、そもそも真摯さ。というのは重要だというのは十分理解できるのだが、上に立つ者がそもそもそういう資質を持っていないから、あらゆる組織で、混乱が起きているのが現実で、多くの人は上司のきまぐれに苦しめられているのが現実でしょう。
人間社会なんだから、良い人ばかりじゃないのが当たり前で、とんでもない人物、気に入らない人物にも、微温的な付き合いができるかどうかが必要で、そこにドラッカー的なマネジメントは入り込めないにじゃないかな
あなたには、真摯さが足りからいけないのだ。と言われると反論はできないかもしれないが、人は誰もそんなに強くないのではないか
自分も好き嫌いで行動する上司に嫌われて苦労した記憶があります。男の上司の中には、男は無視し、女性にばかり媚を売るような奴はけっこういるし、いけすかない男の上司の中には、若くて可愛い子とおばさんと、接する態度が全然違う者もけっこういるし、職場では、そんな愚痴はよく聞かれます。
普通のマネジメントは、そういう程度の低い輩内でやるしかないので、難しいなあと思ったり。
この本は、直、仕事、学校に役立つという性格のものではなく、自分の仕事の中身を見直すという傾向で読むべきなのでしょう。
ヒロインのみなみが、ドッラガーの本文の
・ 成果よりも努力が重要であり、職人的な技能それ自体が目的であるかのごとき錯覚を生んではならない。仕事のためではなく成果のために働き、贅肉ではなく力をつけ、過去ではなく未来のために働く能力と意欲を生み出さなければならない
という言葉で、病気で入院しいる親友の夕起の、プロセスが大切だという意見を却ける。
このところが、この本の一番の矛盾点だと思うと同時に、ドラッガーの本の厳しさを思い知らされました
甲子園へ出場など、ほとんど夢であって、必ずしも実現可能な夢ではない。
顧客とは何か、組織の目的は、絶えざる問い直しが求められる命題です
作者もそのところは、心得ているみたいで、最後の甲子園大会の出場校インタビューでキャプテンに
どんな野球をしてもらいたいか。と問われると、
「ぼくたちは、それを聞きたいのです。ぼくたちは、それをマーケティングしたいのです。以下略」
こんな高校生いないし、おかしいだろ。
たまにはハードな書物も読んでみようと思いました
自分は田舎のおじさんなので、読解力が至らないので、こういう経済書を読んでも誤読している可能性が高いので、日本経済について示唆に富む意見などは、この書を読んで吐くことはできませんし、誤読のお叱りを受けるかも知れませんが、少し書きたい気持ちがあるので勘弁してください
この本の刊行は2008年6月。当時世界を襲ったサプライム危機をクー先生が述べたもので、あれから4年。世界は新たな危機というか、継続した危機の只中にあります
特に昨今のユーロ危機は、この書で述べられている現象の進行した先のもので、直接的な因果をこの書で述べている訳ではありませんが、処方せんとどうしてそうなるのかは、理解できるような気がします。
クー先生が本書に主に述べているのは、アメリカの危機への対処の仕方を日本のバブル崩壊後あり方と対比して述べておられます
クー先生がバブル崩壊直後から、この問題に対して一貫した政策提言を行っておられ、今の時点から省みても正しいような気がするのは、さすがと言わざる得ませんし、日本に金融当局者がある所で間違えたが、全てがダメというわけではなく、安易な円安誘導をすることなく財政出動で危機に対処してきたことを高く評価されてます
この辺は、安易に大衆に媚びるマスコミ、経済評論家の声がうい著しく日本経済の政策を歪めてきたとも言われてます
・ 民間のバランスシートが傷つき、人々が借金返済に回っているバランスシート不況の時は、金融政策は効かない。しかもこのような時に財政再建をやっても、それで政府がかりなくなったお金を代わりに借りて使ってくれる民間の企業や個人はいないので、政府が財政再建をやった分だけ総需要が減り、景気は悪化する
・ 過去十五年間の日本は、つい数年前まで世界最大の貿易黒字国だったことで、クルーグマン教授などが盛んに提言した円安政策を採られず、最終的にはすべて財政出動で対応した。貿易黒字国がさらに自国通貨安にして不況から脱却しようとすると、全世界から「失業を輸出している」と反発を受けるからである。つまり、日本は自国の問題をすべて自国内で片付けたわけで、その分世界へは迷惑をかけずに済んだことになる
他、この本には抜き出したいところが沢山あり、ほんが赤線だらけになってしまった
示唆に富んでいます。田舎のおっさんには首肯するところばかりです
クー先生の本で他に特筆すべきところは、日銀の政策に高い評価を与えているところですね
人為的にインフレを起こすなんてもっての他。
ノーベル経済学賞を受賞した学者が意見しても政策を曲げなかった。故に日本国民の暮らしは守られた。お年寄りは特にその恩恵を受けたと言えるでしょうね
真に豊かな住宅投資の促進も提言。
この辺は、日本人の意識改革も必要なんでしょうね
ひゃっきっとしました。
少し今の日本経済について学びました
理解が至らないので、まだまだ繰り返し読まないといけないと思ったし、クー先生の他の本も読まないといけないと思った
茂木先生は、この3月までNHKの番組「仕事の流儀」に出ておられました。
今や人気作家でありますし、ちょっと下火になりましたが、脳科学者でもあります。
頭が良いとの代名詞にもなっている人です。
その人が勉強法の本を出した。
お馬鹿な自分は飛びついた。
そして投げ出した 。
今回再び取り出して読んでみると、即効性のある薬じゃないんですね。漢方なんです。
せっぱ詰まって賢くなりたい人の為のものではないです。
まず体操をして、生活習慣も整えて集中。
その集中法がこの本の主眼みたいだ。
大量のものをガバッと限界値まで活性化してこなしていく。
ドパーミンが放出されるので、やっていくうちにどんどんこなしていけるようになる。
自分用ではないなあ。やはり。
しかし、量をこなして限界値を上げるという方法は、悪い方法ではないですね。ちまちましても仕事は片づかないのは事実ですもんね。
自分の住んでいる宮崎にスターバックスが出来たのは最近であります。
その場所は、多くの地方のジャスコには入っているのですが、宮崎はそうでもなくて、ジャスコの近くにあります。(それでも5キロくらい離れているのかな)
タリーズコーヒーがジャスコに入っています。
都城でもそうですし、宮崎ではスターバックスは勢力的に負けているのかも知れないですね。
ただし、コンビニとかでも、スターバックスはカップで売っていますので、気楽には飲めます。
本当にイライラしているとき、忙しいのが頂点に達しているとき、車で移動中にスターバックスのコーヒーを買います。
いつも買うは森永のチルドカップコーヒーなんですが、気分転換にスターバックスを買います。
自分の味覚は全然あてにならないのですが、カップコーヒーにおいて、森永のものとスターバックスのもののおいしさの差はないのでは。
スターバックスが特別おいしいという訳ではないのではないか。
ここのところをはっきり定義していないと、この本はを読むに当たって先に進めないのですね
この本の飛びきりおいしいコーヒーを、情熱を持ってお客様に提供している。そしてその自負がある。
そこが合点しないと、先に進めないような書かれ方です。
ちょこちょこと摘み食いしながら読んでも、効能は半減です。
この本の著者には、失礼なんだけど、スターバックスよりも、おいしいコーヒーを喫茶店で飲んだ経験があったりします。
特に日本の郊外には、無口なおじさんが、コーヒーを淡々と入れているような店がけっこうあります。
そういう店では、大げさな成功のノウハウとかは、マスターは語らないような気もします。
ただし、最善であるという商品を提供しているという自信がなければ、商売というものは辛いものであるとは納得しますね。
そこそこ儲かればいいというのは、実は一番危険な商売の仕方なのかも知れないですね。
戦後日本経済史 野口悠紀雄 新潮選書
この前「戦後世界経済史」という本を読んだので、今度は「戦後日本経済史」だ。
と思いまして、「超整理法」「超勉強法」で有名な野口先生の本を読んでみました。
この本は、従来から野口先生が主張されていた戦中の体制が戦後もそのまま残り、高度成長を生みだし、バブルを崩壊させていったことを述べています。
「戦後世界経済史」が、いろいろな国、体制に飛び、書かれていることが分かりにくかったのと違い、この本の論旨は究めて分かりやすく、誤読を許さないような書かれ方をしてます。
学生に、きっちりと授業を受けさせ、レポートを書かせると良い本かも知れない。
しっかりとした知識を取得できるので、そのことを踏まえて上の議論のたたき台をしたらいいと思える本です。
難しい用語もなく、一貫した主張で書かれています。
こういうのを名著というのじゃないでしょうか。
この本を読んでいると、戦前、戦中、戦後も日本人は変わらないだなあ。と感慨に耽ってしまうと同時に、これから起こるであろう新しい現実への対応に、日本人はついていけるのかと思ってしまいます。
野口先生は
・ あきらめるのはまだ早いかもしれない。日本の産業革命はイギリスより100年以上遅れたが、追いついた。 新しい情報技術がアメリカで誕生したのは1990年代のことだから、それほど昔のことではない。
と希望を持たしてはくれてます。
個人的には、色々示唆に富んだ本で考えさせられることも多いのですが、バブル期のことは、その時々で得られた知識以上のことは余り無かったかもしれないですね。
・ 高度成長が終わり、日本経済の国際化が進む中で、戦時金融体制は崩壊せざるえない宿命を負っていた
しかし、こうズバリ書かれた本も、気がついてみるとなかったのかもしれません。
野口先生の書かれ方がソフトで、鮮明なので、当たり前のように思っていただけなのかもしれないです。
自分が面白く感じたのは。最初の方かもしれません。
・ ジャーナリズムも「政官財の癒着反対」という程度の皮相的な批判しかできず、金融統制に真の問題があると見抜けない。「分かりにくさ」こそが、最強の防壁なのだ。
法律を難解さというのは、利権政治家の介入を排除する為のものだった。
こういうのは、官僚出身者でしか書けませんね
それと、金融を複雑にして、普通の人にも分かりにくくもした。
それが、財政投融資であったと
高度成長前の日銀と大蔵省の対立も
・ 彼(あるいは日銀)は、「豊富な労働力を活用する繊維・雑貨などの軽工業で外貨を稼ぐ」という考えだった。「経済の基本構造が変わらない」という前提をおけば、これは経済学の「比較優位原則」から導かれる正統的結論だった。
そういう伝統的な考えに対して、あえて重工業に資金を傾斜的に投入していく判断は、将来のビジョンの対立でありし、日本の将来を決めたものであったと分かりました。
そこで、上手く利権政治家を騙しながら、財源も確保した。
こういう部分を読んでいると、日本の官僚政治も捨てたものではないし、非常に機能したものだったと分かりました。
問題は、機能したものが、ダメになっていったときに、上手く対応できなかったということなんですね。
読後、大まかな理解はできたつもりだったのですが、読んだことを思い直すと、理解が至らないところがあると分かる本です。
手許に置いて、ちょこちょこ参考するといいのかもしれないと思いました。
戦後世界経済史 自由と平等の視点から 猪木武徳 中公新書
ギリシャ破綻により、現在世界経済が不安定になっている今日。
自分も、これから世界はどうなるのかという将来の不安を漠然と思い至ることがあります。
本屋で、この本が平積みされているのを見かけた。
帯びの惹句文に、
・ 2009年エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10の第1位
となっている。
ミーハーな自分は、己の学識の無さも顧みず、読んでみることにしました。
読んだ感想としましては、非常に教科書的な啓蒙書でした。
自分に学識がないので、知らないことが多々ありましたので、そういう知らないことを知るという点では有益でしたが、アメリカ、ヨーロッパ各国、東欧諸国、中国、アジア諸国、中南米諸国、アフリカ諸国、中近東諸国まで語られていくのに、ついていくのはしんどかった。
石油ショック、ニクソンショックが出てくるのが、3分の2くらい過ぎた頃に漸く出てきました。
そもそも、今の世界の大きな変容は、この石油ショック後の世界が重要であるのだから、そこから先が最も興味があることなんですけど。
そこに至っても、この本は悠然と、個々の国のこをゆったり語っていきます。
そういうところに自分にも興味ある記述もありまして
・ 経済成長は生産要素(労働、資本、自然資源)の(1)量的増大とその(2)使用方法の効率性の向上によって説明される。
後者は全要素生産性と呼ばれ、その水準に高低は、労働のモチベーション、産業組織、貿易による利益などによって決まる。
「アジアの奇跡」が、投入資源の単なる量的な拡大によってもたらされたのか、あるいはその使用方法の革新で生じたのかによって、アジアの経済成長が「奇跡」なのか、単なる人口や資本の増加によってもたらされた量的拡大現象にすぎないのか議論は分かれる。
ノーベル賞受賞のグルーグマンは、「アジアの奇跡」は、単なる投入量の増大にすぎないと主張したんですね。
そのことは、今の中国にも言えるかも知れないですね。
イノベーションなき経済成長。
でありますが、この本では、必ずしもグルーグマンの主張を受け容れておらず、中立です。
すべてにおいて、この本の記述は中立的です。
漸く、最後の章において、この本で書きたかったことが書かれているきました。
この本を読むと歴史的というか、石油ショック後の多くの国は
・ 途上国の経済不振は、多くの民間資本の逃避を引き起こし、不況のスパイラルを生み出した。このワナから抜け出すには、輸入を切りつめて国内的には緊縮財政を採るか、さらに外国からの借り入れを行うかのいずれかに方法しかない。多くの新興工業国や途上国は、後者を選び、さらに多くの対外借り入れを行うようになった。
現在世界で起こっていることも、全く同じです。
IMF等に支援を受けることも
ユーロのことも語られていましたが、今回のギリシャ危機に直接関係するような記述はなかったですね。
・ 「デフレ下の緊縮政策」という方向に走ることの危険性を今や十分認識している
という記述は、橋本内閣下の増税政策を自分は思い浮かべたのだけど、間違っているのかな。
・ 今回の金融危機が長びく原因が流動性の不足によるものか、金融機関のバランスシートの汚れによるものかによって効果は異なる
と述べておられ、バランスシートの汚れである暗に述べていますが、人間の貪欲さの現れがそうなったのであり、その貪欲さを制御する有効な「システム」の構築が必要だと述べておられます。
この本のむすびにおいて、この本の副題「自由と平等の視点から」とあるように、この本の基底には、自由なるものの考えに基づいて書かれていると述べているようですし、第1章の5つの視点においても、5番目の市場システムを支える制度をどのようにデザインされるのかが重要視されています。
ただし、自分の読解力が不足してますので、総花的な記述であると感じ、ビビッドに訴えるようなものは、自分には少なかった。
今世界では、そういう商い道徳、自由の観念など全くない、巨大マネーが彷徨っている訳であり、その暴風のからは、あらゆる国は逃れることはできない。
人間の力ではコントロールできない何某かがある。
新書的内容で良い本じゃないかしら。
一般教養を得るのにはね
新書は一般人向けだし、学者や専門家向けじゃないからね
この本の副題は「ポスト・バブルの処方箋を求めて」で、刊行は1992年6月。
自分は、この本が出版されて即購入し、読みました。
当時は、真面目で今よりも賢かったようで、線を引きながら、かなり真剣に読んだ形跡が残っております。
今回読み直した場合では、このラインマーカーが無かったら、何を書いているのか、さっぱり理解できなかったに違いありません。
昨今の新書による社会科学の本とは読み応えが段違いですし、経済学の知識を若干求められます。
刊行当時から話題になった本であり、識者がこの本を題材に語っていましたが、唐変木なことばかり言っていた印象があります。
そして自分が読んでも、昔も今も、現実の経済で起こっっていることへの理解を深められたとは思わないのは、もどかしいところです。
この本の一番言いたいことっは、前書きに書かれていて。それは
・ 金融の自由化の帰結として金融資産(ストック)の調整過程が先行し、それによって実質GNP(フロー)のマイナス成長が誘発されている点である。 それは、バブル=不良資産(ストック)の長期的調整とフローの短期的在庫調整とが連動して進行する
いわゆるストックーフロー複合リセッションであるといってよいだろう。
そして、ここが重要なんだと思うのですが
・ 金融の自由化による不良資産の調整過程(クレジット・クランチ)が先行し、やがて重なり合い連動する複合不況であると認識する。
自分なりに理解したところは、長期的な視野で解決しなければならない問題と、短期的な在庫調整等の問題とが重なり合ったものだと、指摘していると思ったものです。
もちろん、不都合が重なったとはいえ、日本経済はバブル崩壊から20年近く低迷。いまだ低迷している現実がある訳であるから、上記の説明だけでは、この後の日本経済の不振は語り得ない訳ですよね。
進行するバブル崩壊時の最も初期の報告であり、何が起こっているのかを現場の本であると見ると、当時のエコノミスト等の混乱は相当なものであったと言わざる得ませんね。
当時のニューズウィークでは
・ 株価指数そのものの方が、景気の先行指標である役割を喪失してしまったのではないか。
などというコメントもこの本に上げられています。
この後の日本経済の実相を見ると、株価は正確に経済状況を表していたと言えます。
当時のエコノミストたちの、現実の把握が混乱していたと分かります。
この本は、宮崎先生の3部作の3作目の本で、変動する世界経済描いたものので、自分が当時理解していたところでは、一国のみの
ケインズ政策は、ますます困難になっている状況。他国の影響をもろに被るような状況になっていること。それと多国籍企業の勃興による、世界中に動く金の流れが、一国では補足できなくなっていることを示していたと思います。
この本が描かれて20年近く。益々そういう状況は進み、一国のみの財政出動の限界は明らかになり、多国籍企業が、ますます我が者顔で、世界中を駆けめぐっています。
その上現実経済では、ヘッジファンドなるものが盛んに跋扈しているとも言えますね。
つまり20年前から状況は、悪化している。一国のみで対処できない事態になっているというのでしょうか。
この本は、当時のアメリカの景気後退と、日本の複合不況を詳細に書かれています。
そこのところは、本当に難しいですね。アメリカの方はまだしも何とか理解できたのすが、日本の方の複合不況は理解しにくかったですね
日本の方では、
・ アナリスト独自の企業評価によって社会的に有益な方向に投資を導くより、むしろキャピタル・ゲイン獲得の方が優先され、そのために株が値上がりさえすれば目的を達する。
こういうところは理解できるのですが、複合不況である現実がどうしたなのかは、一般人には理解できないところではあります。
そして今となっては、それほど重要ではないことなのかも知れないですね。
今回自分が読み返して良かったことは、この複合不況。この後の日本経済を蝕み続けたものが、昭和初期の恐慌と安易に比較とする風潮があるが、そのものの性質が全く違っているものであると分かったことですね
それはアメリカ経済の分析のところの
・ 今回の景気後退は、従来と異なった点が多い。まず「今回の景気悪化に先立って、ボトルネックや生産力不足が現れなかった」
・ 今回のリセッションは、過剰生産にもとづくものというより、それに先立つ銀行不況によるところが大であるという事実が浮き彫りされてくる
要するに、生産が不況になって始めて、金融も不振になったのが、従来型。
銀行の信用逼迫が最初にあって、生産サイドに金が回らなくなった。これが新しい不況であるということですね。
卵が先か、鶏が先がのような感じもしますが、そこの違いは重要なんだと理解しました。
金融の不振を何とかしないと、実体経済をどうにもならない。ということなんでしょう。
この後、日本経済は公的資金を金融機関に投入するのに躊躇した訳で、それは実体経済の回復の遅れにも繋がったという訳ですね。
更に、リーマンショック後、アメリカが、迅速に金融機関への公的資金の注入を大規模に行ったのは、この日本の失敗があったからだと理解できるのでしょうか。
自分は読書と名のつく本はけっこう好きです。
大概その手の本を読んで、作者の驚くべき読書量に感心して終わりなんですけどね。
マスコミで話題の勝間先生も読書について書かれている本を見かけた。
勝間先生をテレビとかでちらちらと名前を聞いたりするのですが、自分はニュースとかビジネス向けの放送はほとんど見ないので、どういう人か知らなかったんですね。
それで、今回読んでみた。
やっぱり感心してしまいましたね。
勝間先生が凄いところは、実践力というものなんでしょうか。
本に書かれていることを即実行できる。
普通の人はできそうだけど、できないなあ。
この本で紹介されている神田昌典さんの「非常識な成功法則」を実践できるのは、凄いとは思いますけど、自分的にはこの法則は、受けつけないだろうと思いましたね。
ビジネス書というものは、感心するだけではダメで、自分の身につけてなんぼ。なんでしょう。
愚図人間の自分は、ビジネス書は相容れないなあと思いました。
・ 「本を読む」とか、「人と会話する」、というのは相手から刺激を受けて、自分のスキーマ(データーベースの構造)を組み立て直す作業です。
という方向と全く違う読書を勤しんでいる自分は、反省もしますし、これでじゃダメだなあ。とも思ったりもしますが、
自分に無理なことは無理だなあと思ったりしました。
ただ勝間先生の読書の範囲は、それほどではないとも思ったりもしました。古典の造詣はそれほどでもないですね。
不確実な世界では、古典に返る必要がもっとあると思ったりもするんですけど、その実践力と行動力があれば、別にいいことかも知れないですね。