コスモポリタンズ S.モーム ちくま文庫より
この話も日本ものです。
そして出来が良いものですね。
のっけの文で
・ 私はこれまで三十年間、仲間の人間たちを観察してきた。しかし、かれらについて私の知っていることはいくらもないのである。
自分が、モームを好きなのは、こういった文章があるところ。懐疑精神ではなく、人間への尽きぬ関心が、こういう言葉になるのだろうね。
年いけばいくほど、人間というものは、他人についての感想は決定論になり、第一印象とか、見た目での判断に多くの比率を置くようになる、
昨今のベストセラーでも、人は見た目が9割という本があったりもする。
そういった著作とは、モームの物語は逆を行くものではありますが、どうなんでしょう。
自分が考えるのは、年を行くほど決定論的なものは、避けるのが若さを保つことではないかとも思うのだよね。
簡単で、あからさまに出せるもので、結論を出せるものは、もともと簡単な問題であり、本当に難しい問題は、見た目とかで出せるものなどない。
見た目の判断で下せるものは、実は誰でもいいものであるということなのかも知れないしね。
物語を読むということは、何でどうしてということへの探求だし、実際生活で直接役立つものでもない。でも無用の用みたいなのがそこにあるということが、最大の魅力なんじゃないでしょうか。
長い前置きはともかく
ここでの話は、
神戸で会社を経営するエドワード・バアトンは、余り喋らないが、言うことに分別があり、地味な、淡々としたユーモアを持った人物だった。
モームが会ったバアトンの家族も暖かいいい人たちで、彼のやさしい心情がよく分かった。
ある時、ホテルでにバアトン会ったとき、彼は、同じ姓を持つレニー・バアトンの話をした。
この男はイギリス本国から来る送金でずっと生活するギャンブラーだった。
レニーは賭けですってんてんになってしまって、エドワードの会社に雇ってくれとやって来た。
聞くところのよると水泳が得意らしいので、垂水川の信号浮票を回って帰って来たら雇ってもいいと答えた。
すると、その言葉を信じたレニーを川を渡りきることができず、亡くなってしまった。
バアトンは、レニーが酒、ギャンブルで体がボロボロで、とても渡りきれないとあらかじめ知っていたのだ。
モームが結果が分かったいたのかときくと、エドワードは、当時会社に空きがなかったんです。とあっさり答えた
バアトンのとった態度は、必ずしも責められるものでもないかも知れないよね。
使いものにならない人物などいらないということに対して、やんわり断っても、自分に対しての風評は、けっして良くはないが、密かに亡きものにしてしまうようにすれば、そういう風評すら立たない。
今まで会って感じてきた、この人物の人当たりの良さというのは、実は底意地の悪さがあってのものだと。今回のことで判明した。
モームさんは、そのことについてはそんなに驚かないように見えるのが、面白いところ。
一見人が良さそうであるというのは、実はそうでないという事実に会うことが多いからではないか。
こういう話に接すると、見た目とか第一印象とかで判断するのは、どうなのかと考えてしまいますね。
衝撃度は8くらいかな。