影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
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古池や蛙飛こむ水のおと 「その時歴史が動いた」を見て
どういう切り口で、芭蕉のことを扱うか気になって見てみた。

自分のブログ名は、芭蕉から取っているんですよね。
全然芭蕉を扱っていませんがね。

「かわずあわせ」から繙いていく、
ワクワクしてきたぞ。


江戸時代初期に芭蕉は生まれた。
俳諧は、故郷伊賀上野で流行していた。
新しい大衆娯楽。
芭蕉にとって、俳諧は心のよりどころだった。
父親をはやくなくし、辛い日常を忘れさせてくれるものとして俳諧があった。
地元の上級藩士のもとに仕える機会があった。
そこに俳諧好きの良忠がいた。
芭蕉は、ここで本格的に学ぶことができた。
芭蕉は貞門の魅力に嵌っていく。
俳諧が好きになってしまった。
古今和歌集、万葉集、漢詩から学んでいく。
幸せな日々は4年で去り、良忠は死んでしまった。

しばらくは芭蕉の動向分からない日々が過ぎる。
この空白の6年のうちに芭蕉は、実力を貯えていった。

ついに私は俳諧一筋の人生に誘われたのだ。

伝統的な和歌は優美な世界を描くのに対して、俳諧は主に笑いの世界を描いた。
身分制を越えて、俳諧は人と人の繋がりをもてた。

29歳になり芭蕉は江戸に出てきた。

当時の江戸は、時間と金を持つ町人の中で、空前の俳諧ブーム。
北村季吟の「埋れ木」 一種の免許状みたいなものを持って江戸でなんとかやっていけるようになる。
そこに新たな流派が流行しだした。西山宗因の談林派
芭蕉は談林派へ鞍替え。
ここでも芭蕉は、才能を発揮。
芭蕉の元には弟子がぞくぞく集まった。
賭け俳諧をするようにもなった。
芭蕉はそういうものを目撃し、苦悩の日々を過ごす。

芭蕉は俳諧そのものの問題点についても考えるようになった。
芭蕉は、荘子に注目。その言葉遊び的な側面よりも内面を重視するようになる。
そこで芭蕉は転居することにする。
深川のひなびたところに移る。

言葉遊びよりもメッセージ性を重視することになる。

芭蕉41歳の時、江戸を離れ、西国に旅行することにする。
「野ざらし紀行」

のざらしを風を心にしむ見哉

猿を聞人捨子に秋の風いかに


猿を聞く人とは、中国の古典から取ったものだった。
いまだそういう文献から離れることが出来ない

道のべの木槿は馬に食われけり

あけぼのや白魚しろきこと一寸

年くれぬ笠きて草鞋はきながら

山路きてなにやらゆかしすみれ草


旅を続けるうちに、自ら感じた心の世界を俳句に出来るようになった

そして番組内のその時が来た
まず下の句を提示した

蛙飛び込むみずの音

泣く蛙ではなく、飛ぶ蛙をイメージした。
伝統的なイメージへの挑戦。

弟子の一人が
蛙とくれば、山吹ではないでしょうか
伝統的に山吹と言う言葉を進言

古池や

芭蕉の言葉は、思わぬ言葉。
門弟たちは、完成されたこの句をイメージ。
静かなの余韻をイメージ、
蛙言う滑稽なイメージ、古池という、ゆかしいことばの不思議な対比
悠久な時のイメージと命の儚さ。

さまざまなイメージが広がった。

古くからの和歌の世界と並びたつ俳諧の世界が誕生した瞬間

芭蕉は再び旅に立つ。奥の細道
芭蕉は更なる俳諧の世界を広げた

芭蕉が生み出したのは不易流行という真理
永遠に変わらないものと、移ろうものを描ききったのだった。


という番組の内容だったね。
良かったのではないでしょうか。
それぞれの句の意味とかは、それぞれ個人が調べて味わえばいいのだしね。

個人的には、弟子が詠んだ「かわずあわせ」も面白いので、
そこだけをトリビュートした方が良かったと思うけど、
それをしたらマニアックになりすぎるかも。