バッテリー 4 あさのあつこ 角川文庫
この巻は、横手二中との対戦で、強豪相手に打ち込まれてしまう巧の挫折と、バッテリーを組む豪との不和が描かれていた。
横手二中のと天才スラッガー門脇とその後ろを打つ瑞垣の方が、目立っていたのかも知れないわね。特に瑞垣は、個性が強く、とても十五歳には思えなかった。
・ 最低最悪。気がついたら、もう十五だぜ。
こんな瑞垣の独白がある。
この物語は、作者が描きたいポイントが、野球そのものというものではなく、野球に付随する人間関係みたいだね。
かといって巧と豪を成長させていく話でもないみたいだ。
思春期の揺れ動く子供の内面というのを、一般化することなく個別性で描きたいのだろうか。
その分かり難さが魅力で、多くの大人にも読み応えのあるものと写るのだろうね。
おっさん世代は、みんな野球をしてきた世代で、自分も野球チームに所属していた経験もあるのだが、その自分の経験の中での出来事と、この物語の中の少年の差には、驚いてしまうわね。
老成しているというのか、賢くなっているのか。
頑なな少年がいる一方、理想的なスポーツマンもいる。
・ 柔らかく、広く、自由に野球と向かい合っている。それは、そのまま高槻や野々村の柔らかさや広さなのだろう。
というような、スポーツをして、本当に学ぶべきものを手に入れてしまっている。そしてこういう人物は脇役だ。普通にこういう先輩について学んでいったらいいのだろうと自分などは、読んでいて思ってしまうわね。
巧と豪の関係も、周りが、理解し過ぎているのも驚きだ。
これは、この前読んだ「ホーンブロワー」シリーズの英国海軍の上官たちとは、全く違うアプローチだ。
言い方を変えれば、過保護過ぎるのではないのかな。
少子化で、子供が少ないことでの、かばい過、心配し過ぎではないのかな。
それを言っちゃったら、身も蓋もなことなのだけどね。
それに自分の乏しい経験でも言えるのは、少年時代の能力差なんというのは、誤差に過ぎないということかな。
体の成長期にどれだけ、凄いと思う選手も、大きくなったら大したことがない場合が多いからね。
そういう傑出していると見える子供に対しても、天狗にならないように諫しめるのが教育であり、その通りに作中の教師たちは行動しているのだが、それがなかなか巧くんに伝わらない。
今の先生たちは、教育現場で、こういうことに悩まされているのだろうかね