影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
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昔も今も
モーム    天野隆司(訳)    ちくま文庫

アマゾンのレビューでは、チェザーレ・ボルジアとマキャベリとの知的格闘うんぬんと紹介されており、この本の帯には、「政治人間」の生態と機微を描いた小説となってます

ですが、自分が興味深く読めたところは、自信満々で自惚れの強いマキャベリが、女に虚仮にされ、負け惜しみをつらつら述べているところですね

自分が読んだ限りでは、今マンガにもなり人気のボルジアは、類型的に感じられ、そんなに魅力は感じなかったです
これは、別にモームが悪い訳でなく、様々のところで、ボルジア像が、大きくなり過ぎている為でしょう。

人間的なマキャベリ。この小説を読む限りでは、実際は、それほど実績抜群と言えず、あくまでボルジアに翻弄され、上手く女を口説けもしない姿を晒してしまってます。
それでしたら、後世に多大な影響を与えた思想家とは、言いづらいかも知れません。

ただし、これだけは言えそう、政治的人間は、女性に振られたくらいで、人生の大きな危機には、成りえず、愚痴を言い、なんとかその感情を合理的にできる存在であると、
そういう意味では、凡人ではありません
女に振られると、それに関わる者全てに、罵詈雑言を撒き散らし、自分を出し抜いた間男が、美男子であると、事実を知って初めて納得。
そんなもんんで、複雑怪奇な当時のイタリア情勢を分析できたのか
そこに、小説の妙があるようにも感じられました

その間男に説教する言葉が秀逸です

・ 人の気分の良し悪しに注意をはらって、相手にうまく調子を合わせるようにしろ。そいつが陽気なときには、いっしょに大笑いするといい、しかし憂鬱な顔をしていたら、おまえも暗い顔をして見せろ。バカ者どもの前で利巧ぶったり、賢者の前でバカになったりするのは、愚の骨頂だ。誰に対しても、おまえ自身の言葉で話すがいい。しかし、礼儀を忘れてはいかん。礼儀を守れるのは、金はかからんが、けっこういい見返りがある
ゲームの達人
シドニィ、シェルダン 著  天馬龍行 訳  アカデミー出版


20年くらい前、爆発的に流行していた本を読んでみました。
当時、全く食指が動かなかったのですが、どうしてこんなに売れているのだろうと不思議に思っていた。
どんなものなんだろうと今回読んでみたのですが、けっこう楽しめました

曽祖父、祖母、父、双子の姉妹の話が、それぞれ語られているのですが、物語の発端時に、ご都合的な展開があり、復讐話に無理やり押し込んでしまったかのようであり、読んでいて、それは無いなあなんて思ってしまいました。

この物語は、ある一族の話なんですが、この話の中心には、祖母として位置のケイトがいるのですが、実のところ、この人物の性格の造形がいまいちでして、息子のトニー、双子の性悪な方のイブが、より存在感があったように思われる。

この物語の発端、一族の血、性格。
それらを因果的に描いていないので、波乱万丈の話にも、めりはりというものが無いですね
そのかわり、本当にサクサクと読めてしまいます。
そこは良い点なんだけど、達人になる方法、示唆的なものを了解できるところがはないので、やっぱりもの足りないです

でも、癖になりうそうな本ではありますね。
サクサクと大部な本を読めてしまうのは快感ですもんね
風と共に去りぬ 5

M・ミッチェル  大久保康雄  竹内道雄 訳


「風と共に去りぬ」は、2011年に大きな出来事がありまして、著作権が切れることがありまして、映画での名シーンのその後どうなるのかという続編が書かれる可能性がありました
その前に、ミッチェルさんの相続人が続編を書かせました。
もう20年くらい前にもなりますね
その続編は、ベストセラーにもなりドラマ化もしました。

自分もその続編を読んだ感想は、上手いし、原作の雰囲気は良く出ていたと思ったのですが、気にらない人物、恋敵であったメラニーを速攻で亡くしてしてしまったのは、いかんですねえ
この本は、そこで読むのを止めてしまって、それから何度も読むのを試みているのですが、納得いかんところが多々ありまして、挫折しております
これから、その本を読むのは課題としておきまして、読めたら記事をアップするとします。

前置きは、ともかく、自分は、ここ数年読んだ本の中で、最も楽しめた本は、「風と共に去りぬ」でして、あっちこっちで蘊蓄みたいなものを吹聴して、煙たがられております。
蘊蓄なるものの中身は、大したことではなくて、スカーレットの内面と性格についてなんですけどね
映画とかでは、描かれていない部分があって、そこに重要なポイントがあると思えるんですね

敗戦後の日本と、南北戦争後のアトランタ。
ヤンキーに支配されたのは同じであり、そこのところの無神経さは、驚くほど似てます
勝者とはそういうものというだけでは見逃せない部分もあり、KKK団への暗に同調したくなる部分もあります。
そこのところは、微妙なところで、南部への愛着がそうしたのだと言えるのでしょうけど、考えさせられます

でも、一番この本で、感銘受けたのは、スカーレットの性格ですね
母から受け継いだ、上流階級の嗜み、跳ねっ返りで真面目ではないのですが、心底は、上品なところがあり、誰にも親切に接していける心持ち。
成金の父から受け継いだであろう、気性の荒らさと、親切さ。
相反するであろう属性を持っているのが面白い
最も嫌いなメラニーに対しても、窮地には手を差し伸べ、感謝される。そして感謝されることに憎悪し、悪態を吐く。
様々な側面を抱えている女性。
ですが、どこぞが純朴であること、父、母の属性を受け継い出ている姿は、非常に興味深い
つらつら書いている言い足りないくらい面白いです

この小説、今回は5巻を拾い読みしたくらいなんで、じっくりと読んだ訳ではないのですが、楽しめました。
本当に自分の心の書ですね

はるかなるわがラスカル
スターリング・ノース 著   亀山竜樹 訳     小学館


今春毎週一回、あらいぐまラスカルが放送しているのを発見した。
3回目の放送くらいから、録画して見ています
12回目の分は、見逃したのか、録画できませんした。
ここのところは、重要なところだったので残念でした。

すると、本棚のどこぞに眠っている原作本を読みたくなって、探し出して読んでみた。

過去に読んだときも感じたことだったのでしたけど、内容は同じでも、テレビアニメと原作では、印象がかなり違います
硬質な文章で、児童向けというより、大人を対象としているのではないかと思うほど、主人公のスターリングが老成しています

そして、これは父と子の話であって、かなり風変わりな父に育てられた息子。それが主人公なんですが、そのスターリングの視点が鋭いというか、人の世の移り変わり、季節の変化、自然に対しての感受性、そういったものの象徴的なあり方としてのラスカルの存在。
国外で行われている戦争の影。
少年時代にはいろいろあるもんです

アニメでも描いているのは、同じなんですけど、それほど突き放して世を見てませんね
また見てたら、子供向けアニメではなくなってしまうかも。
このシリーズのアニメは全体として、そうでしたよね
原作に書かれていること、そこにあったに違いない話をひねり出しながら作っていた。
作り手のインスピレーションも大切にしていた。

あらいぐまラスカルは、放送当時それほど人気があったような気はしなかった
これだけ、子供向けに作ろうとしていたにもかかわらず、原作が硬質すぎたような気がします
安易に子供に媚びるという姿勢は、当時の制作者にもなかったし、そこは仕方がなかったのかもね

ヒロインのアリスも原作には出ていないのじゃないかしら
現在放送中のアニメでは、アリスが出てきてますけどね

・ 父はもっぱら過去の想い出のなかに生きていた。そして未来を思いわずらうことはなかった。父の人生観はあくせくしないことに徹していた。だから一世紀に七ヶ月足らずの1862年から1961年までの長い年月を、ゆうゆうと漂うように生きたのだった。近親や親類の不幸や、人の世の悲しみや国際間の紛争の悲劇などには、ほとんど無感覚と言ってよかった。しかもおかしなことにこの人間ばなれした人間ばなれのした長い生涯のうらには、大学教育までうけた非凡な才能と、系統だってはいなかったが該博な知識と、人をひきつけるある程度の魅力のようなものまでが同居していたのである。

変身
 カフカ    高橋義孝訳      新潮文庫



先月の100分間名著シリーズは、このカフカの変身でした
短い本ですので、手に入れようと思って近くの本屋に行ったのですが、置いてなかったので、後に大きな町に行った時に見つけて買ってみた

高校生の読書感想文の課題として読まれそうな本ですね、自分も若い時に読むべきだったと思いました

100分間名著での話とは、印象がかなり違う感じがしました。
安易な寓意化、人生訓としての読まれ方では、くくれない内容でした。
ネット上でストーリーをアップしているのを読んだ方が、内容は理解できるし、正確にストーリーを辿れる。
婉曲的に書きましたが、この小説を読んでいると、何がなんだか分かりづらいところがあります、それは時代、国が違うということもあるのでしょうけど、意図的に近視的な視点で書かれていることですね、蜘蛛になってしまったグレーゴリの視点で語られているからなんだからなのか。

グレーゴリーは、悪意を持っておらず、純粋に家族のことを心配。それなり虫ライフもエンジョイしている。拘束の多いサラリーマン生活をしなくなってよくなった開放感にも似た感覚くも本人にはあるみたい。
つまり、新人類、いやいや新虫類へ進化してしまったようです。

それと、この小説をわかり難くしているのは、この小説の登場人物たちは、資本主義初期の時代の考えを色濃く持っているところでしょう。
現代日本みたいに、核家族、個人主義的な考えではないみたい。
社会保障の乏しい時代に、家族が助け合わなくてはいけないところに、働き手の大黒柱が、虫になってしまった。
冗談じゃないよ。
というのが、家族の本音で、生活の危機まずありきであって、虫になってしまったグレゴリーの意味などは、捨て置かれる。
人生には、何らかの意味があるのじゃないのか。
多くの人がそういう問いで、生きがい探しをしている昨今においても、もしくは過去においても、そもそもそういう問いそのものが、生活の雑騒の中では意味を持たない。
忙しいのだから、構わんといて、駄々っ子をあしらうお母さんみたいですねえ

・ もしこれがグレーゴリだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないということくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、わたしたちもどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに。きっとこの家全体を占領して、あたしたちを表の道の上に野宿させるつもりなのよ。ちょっと、ほら、お父さん

と、心優しいはずの妹が述べるかたわら、グレゴリーは、空虚な、そして安らかな瞑想状態のうちにある彼の耳に教会の時計を打つを聞きながら、亡くなりました。
運命を受け入れたと言えるのですが、どこか人間的な感覚が上滑りしております。

家族は郊外に出かけ、美しくなったい妹、即ち娘の結婚の心配をして終わってます。

理解できない点とか、味読しなければならない細部がテンコ盛りなので、いつかまた読み直してみましょう。
ノーサンガー・アビー

ノーサンガー・アビー  ジェイン・オースティン/著  中野康司   ちくま文庫


オースティンの小説を読んでみた
この小説の主人公は、オースティンの他の作品の主人公とは違っているようで、平凡な部類に入るようです
無知で無教養だと小説の冒頭に書かれております。
もちろんこの小説を読んでいると、けっして主人公キャサリンはお馬鹿な少女ではないし、優しい気質だし、言わなくてはいけないところは、毅然と行動を取ります

物語は、無邪気だった少女が、世間の荒波というか、身近であったと思われる人たち、つまるところ親友と思っていた少女に裏切られることで、人生の機微について考えさせられる話なんですね
自分の知らないところで、話が右転、左転していき、追われるように実家に帰ってしまう。
本当のところどうなっているのか、さっぱり分からない状況なんですが、本来持っていた優しい属性が、幸運を呼び込むというところで話は終わったようです。

いつの時代もキャサリンの親友だった、イザベラのような人はいるようですが、そういう人に振り回される人もいるよいうですねえ。
冷静に事態を見つめることができたヘンリーは、世知長けた人物と言えるし、そのヘンリーがキャサリンを選ぶのは、適切な選択なんでしょうなあ。

この小説も非常に元気を与えてくれました。

アルト=ハイデルベルク
 アルト=ハイデルベルク   マイヤー=フェルスター/作 丸山匠/訳岩波文庫


「文学少女」シリーズで取り上げられていましたね。
もっと早く読もうと思っていたのですが、ちょっとタイミングを外してしまいました。
自分は、この本を読んだことがあるんですね。
なので、今回読むのは再読になりますね。

戯曲で少し読み難いとこともあるのですが、短い話なのでそっそと読めてしまえます。
もっと、もっと読まれていい話ですよね。
特に、別れと出会いがあるこの季節にはぴったりですね。

ストーリーは、コテコテなんですよ。
大公国の皇太子陛下が、大学都市であるアルトハイデルベルクに留学のためにやって来る。
真面目一辺倒で、箱入りおぼっちゃまのカール陛下が、下宿家のケーティお嬢ちゃんに恋をするんです。
二人と大学の仲間は、毎日バカ騒ぎをして過ごすんですね。
でも、陛下閣下が倒れたことにより、その留学もおもむろに終わり、後ろ髪を引かれる思いで、ケーティと別れた。
2年後、カールの婚礼が迫るある日、再び真実の別れを告げにケーティの元を訪れる。

2年経って。ケーティが既に嫁いでしまっていたら、話はそれまでなんですけど、しっかり待っていてくれました。
ここで泣いた。

この話は、カールの教育係の博士が、いいですね。
博士には、昔に十分満足した学生時代があり、それをカールにも享受させてあげたい。その為に影ながら尽力もする。
亡くなった閣下も、どうやらそういう老婆心が密かにあったようだ。
そういう大人たちの気遣いが分かることが、カールの成長であり、ハイデルベルクでの楽しい生活が、これからの人生の糧になるであろう思わせますね。
若い時十分やんちゃをした人が、包容力のある人になるということなんでしょうね。

でも、ちょっと気になるのは、学生生活の場が暑苦しいのは、今の学生には苦手かなとも思ったわね。

・ 人間が孤独でありえないのは、経験の教えるところだ。友人のいない人間はかならず挫折する。そりゃあ、ひとり乗りの車だってしばらくは走るだろう。だがある日がきておしゃかになる。一巻の終わりさ。
バレエなんて、きらい
バレエなんて、きらい    ジェニファー・リチャード・ジェイコブソン/作 武富博子/訳   講談社

この小悦は、児童文学、それも小学生の中高学年向けの本ですね。 

ウィニーという、父子家庭の女の子が主人公で、彼女はとっても大切な友達を二人も持っていて、通学時には三人でおそろいの服装で行き、帰るのも一緒、習い事も一緒というくらいベタベタな毎日を送っていた。ある日バレエ教室というものが開かれることになり、ヴァネッサ、ゾーイの二人は乗り気になり、ウィニーをも強く誘う。ウィニーは仕方なくダンス教室に入るが、先生に注意されたりすると、即止めたくなった、他の二人と齟齬が生じるようにもなる。大切な友達なのに、さあどうするんだウィニーちゃん。

というような話なんですね。
ウィニーは、ヴァネッサ、ゾーイと再び仲間直りができるのか
発展的解決と呼べそうな手段が取られるのだけど、その前にウィニーが、パパから教えてもらったバレエのステップを綺麗に飛べたりするところは、良い場面でありますね。
こういう本を読んでいると、心が洗われるような気はしますね。
ちょっといじわるな同級生もいたりするのも約束事みたいでいいですしね。

短い本で、そそくさと読めてしまうのもグッドでしょう。
ジーキル博士とハイド氏
ジーキル博士とハイド氏  スティーヴンソン/〔著〕 田中西二郎/訳   新潮文庫


前に読んだアンソロジー集の中で一番感銘を受けたのは、スティーヴンソンの話だったので、その時まだ未読だった「ジーキル博士とハイド氏 」を読まなくちゃと思っていた。そして今回読んでみた。

ストーリーは、大体分かっているわね。医学博士のジキル博士のところに、いかがわしいハイド氏が出入りしている。なんでなんだろう。とアタソン弁護士が調べてみると、そこに恐るべき事実が

この事実がどんなものなんか、知らなかったなら、ワクワクして読めますが、周知の事実になってしまっているので、そんなに楽しめないですね。
でも、力強い話の構築で、これはやはり今でも読まれるべき話になっているね
まだまだ二次創作の題材として有効な話だね
ゴプセック
ゴプセック      バルザック 水野亮訳     東京創元社


1830年作。
バルザックの人間喜劇の中では、私生活場景というところに入るらしい。

ゴールデンウィークに入るに当たって本屋に行かなかったので、我が家にある本を適当に読み進めている。
この本は、あのバルザックの一番有名な小説
というか、モームの「世界の十大代小説」にも選ばれた「ゴリオ爺さん」と係わりがある作品だね。
ゴリオ爺さんに対して、酷い仕打ちをした実娘の一人のレストー伯爵夫人が出てくるのだからね。
この美貌な夫人の金銭のやりくりに、金貸しのゴプセック老人が絡んでくる。
それを苦学生時隣に住んでいた弁護士のデルヴィルの目を持って語られる。
当時の法律。(というか今でも十分通用するのじゃないかと思える)細かい金銭のやりとり、手形がどうかとか、反対証書がどうかとかが出てくる。
頭が痛くなった。

内容は、
浪費家のレストー伯爵夫人の息子のエルネストと、グランリュー子爵夫人が自分の娘と結婚させていいかとデルヴィルに相談するという話なのかな。
あんな母親がいたんじゃ、付き合ってもダメなんかじゃないかと
いやいやそうではないのですよ。と弁護士のデルヴィルさんが口添えしてやり、正当に財産がエルネストに受け継がれるから付き合っても大丈夫なんですよと、その顛末がこの小説みたいだ。(話が横に飛んだりするし、法律談義が分かり難かったので、確信を持ってそういう話と言えないかも)

ゴリオ爺さんを死に追いやった、酷い娘の子に、心優しいエルネストがいる。
優→酷→優
となっていくところに、人間社会の不思議があるのかな。

金貸しのゴプセックの人間哲学が説得力を持って語られている。
この性別、年令不詳の人物が、人間社会の深淵を全て垣間見たような不気味さで迫ってくる。
彼は、担保を取ってそれでいいというような杓子定規な金貸しでない。若い才能のあると認めたデルヴィルには先物買いみたいなものもしてくれる。
あくまで鋭い人間観察があって金貸しを行うというところが、昨今の金融業者とは違うところなのかな。
金というものが、その人の人生の生殺与奪を握るという怖さをじんわり読む者に感じさせる。
この小説は、法律家でもあり、借金に苦しんだバルザックだからこそ、生まれた小説なんでしょうか。


・ 幸福なるものは、生命をすりへらす強い感動が、さもなければきまった時間だけ運転する英国式の機械と間違われそうな規則正しい職務のうちに存する。さてかような幸福な上に、自然の秘密を知ろうとしたり自然の作用をうまくまねしようとしたりする、いわゆる高尚な好奇心が存在する。


・ 恥と悔悟と不幸は地獄の三夜叉で、女の人がきまりの限界を超えたら最後、どうもがいてもこの夜叉の手につかまえられずにすまないで……


・ 不幸というやつは人間の一番りっぱな師匠なのさ。不幸があの子に金の値打ちや男の値打ち、女の値打ちを教えてくれるだろう。せいぜいまあパリという海を渡ってみるがいいのだ。ひとかどの漕ぎ手になったら、船を一艘進上するさ