影法師

自分が読んだ本の感想を書くブログです。
優しいコメントは大歓迎です。
<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
SPONSORED LINKS
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
アカウント
広告
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | | - | - | pookmark
歴史のなかの大地動乱 奈良・平安の地震と天皇
 保立道久      岩波新書


自分の愛読書に保立先生が岩波新書で出している「平安王朝」という本がありまして、この本をきっかけにして、平安時代がけっこう好きになりました
「平安王朝」は、王家の暦代わりに焦点を絞った内容で、歴史の面白さを、凝縮したように感じました。
今回の本でも、扱う内容は、同時代でありまして、平安時代の天皇について、誰それがどうであって、漠然とはあっても、どの年代の天皇であり、あの人はどうだったのだと、分かっている人は、すんなりと本に入っていけたと思いますが、日本の歴史の中で、一番人気がないかも知れない平安時代について、王家についてほtんど無知な大半の人には、実に敷居の高い本になっているような気がしました

原発事故以後、過去に大災害があって、その災害が社会、その地域に与える影響はどういうものだったのか。というテーマは、必然として、多くの日本人に突きつけだれた問題であると思うのですが、そういうことに対して歴史学から、一般人向けに真面目に答えると、どうなってしまうのか

日本列島は、本当に災害が多いところだとつくづく思いました
この本は、実にいろいろと書いておりまして、繰り返し読まないといけない性質のいものであります
自分も何度か、読み返してまた書いていきたいと思ってます

平家物語を読む‐古典文学の世界
永積安明       岩波ジュニア新書


大河ドラマ「清盛」は、視聴率が不振で、世間の評判も芳しくありません。
源平合戦の前史からというのは、一般的には馴染みがないものですし、登場人物が多すぎるというのも理解しづらしているのでしょうね

最近の大河ドラマは、関連本が無数に出版されており、そのどれかを読んでみると、時代背景とかを知る興味の持ち方は変わってくるのですが、そこまでしてドラマを見るというのもなんだかなあと思うのは当たり前かも

自分は、歴史が好きですし、特にこの時代に興味を持っているので、今回の大河ドラマは面白く見ているのですが、その背景を考える上で一番示唆を受けたのは、この本でしょうか。

当ブログは、6年くらい前からやっているのですが、検索される記事というのは限られていますし、当初より検索されている記事というのは、数本くらいしかありません。
その内の一つは、この本から拝借して書かせて頂いたものです。5年くらい前の記事で

「見るべきほどのものは見つ」

その記事を書いたときに、参考にこの本への言及をするべきだったのでしょうけど、それを行ってしまったら平家物語全てに関連するものなのですので、

当ブログは、本を読んだ、こういうものだった。自分はこう感じたと記事にしてますが、自信を持って人様にこれは素晴らしいと紹介することは、ほとんどありません。
この本は、本当に素晴らしいです。
平家物語の内容をポイントポイントの主要人物に絞って解説してますが、最後まで読むと平家物語の語りたかったことを理解できるようになってます。

真の勇者とは何なのか
運命に捧げて生きることはどういうことなのか。

いろいろなことを考えさせられます
もちろん、この本は、平家物語の内容を語っている本なので、清盛そのものを語っていませんので、ドラマの清盛像とは異質なものです。
歴史的にも、平家物語そのものは、フィクションですので、歴史そのものではありません。
ですが、どうしようもない運命。宿命というのでしょうか、
そういうものに殉じなくていけない人間。そのものの描かれ方かは、ドラマと通じるものがあるように思います
自分が、このドラマが好きなのは、通底に流れるそういう物の見方が、平家物語の世界につ繋がっていると思えるからです

すれは数年前に同じ時代を描いた大河ドラマ「義経」の余りに底の浅い描かれ方と対比できます
あそこで描かれた義経は、ただのアホな子で、運命に対してなすすべもない鈍感、しかし美少年。
確かにそうなんでしょうど、それじゃもの足りないですよね

この本で登場する平知盛は、最高に魅力的な人物として登場します。
自分は、惚れた。
ちなみに、自分が惚れたと感じた人物は、テッド・ウィリアムスとユスティアヌスと平知盛です。
セレクトがおかしいですけどね

この本の発刊は1980年
30年も前から読み継がれているのか
こういう名著が絶版にならずに出ているのは、嬉しいことです。
悪霊列伝
 永井路子      角川文庫 


題名が何気におどろおどろしいのですが、真面目な歴史についての本ですね。
悪霊というのは、祟りとして祀られている罪人。ではないですね、限りなく無実の罪で抹消された人物に対する評伝です。
当時は、恐れられていたものでも、いつもまにやら学問の神にれたり、祭になってしまったりと、本来の経緯が忘れられてしまっています。
もちろん、歴史についてそれなりに知識を持っている人は、因果をそれなりに知っているのですが、それは人ぞれぞれだし、少し深い知識を得ようと思う人は少ないですね

大河ドラマの平清盛に必要な知識ですら、現代日本では摩耗していてしまって、それが主な原因で低視聴率になってしまう現実もあります。

抽象的なことをあれこれ書きましたが、日本の歴史の物凄い重要な事件、事実について、この本は触れられているのですが、それは歴史的に余り知られて欲しくないような事実であったのも事実で、こういう歴史の事実は、好事家のみが知ればいいと思われてきた点もあるのかも知れないですね

・ 怨霊とは、やはり受入れる側の心の問題ということになりそうです。人間が相手を不当に陥れ、のちにこの負い目を感じだしたとき、怨霊は作られる。もしそれを感じなければ、相手がいかに当人を恨んでいようと現れることはできないのだ。つまり怨霊は、どこにもいるし、どこにもいないようなものなのである。

この列伝において、最初の三人が、王家と有機的に結びついている人物で、藤原家の権力確立過程において排除されていった人物であり、ここは一歩間違えれば、それぞれ権力の頂点に立ってもおかしくない人たちです。
一番初めの吉備聖霊と崇道天皇は、咎そのものがなく、完全に濡れ衣です

この評伝の中盤からは、臣下クラスが多いのですが、その中で崇徳上皇が登場します
保元の乱で、負者側の上皇ですね
ここでの因果は、大河ドラマでも語られておりますね
ただ、ドラマで巧妙に伏せられ、暗示的に語られた璋子の問題の説明があります。
この本の作者は、女性なので、ここでの切り込み方は鋭くて面白い。他の列伝も女性の観点から鋭く切り込まれてます。
璋子をどうするかで、困ったことになっていた訳です。

・ 憎悪の世界にあっては、むしろすさまじい増幅作用をもたらす、これは後白河に対してもいえることで、崇徳に怒りがただならぬ激しさで燃え上がったのは、新しく皇位についた後白河が同腹の弟だったからである。

崇徳上皇は、写経の最後に血書して怨みの言葉を書いた
完全に怨霊になってしまったらしい。
後に怨みをどうするかは問題ですね
ですが、その時は時代が中世のになろうとしており、それほど影響はなかったのか

知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物
  康熙奉             実業之日本社


宮崎はテレビチャンネルが少なく、NHKで韓国ドラマを放送されると、その韓国ドラマを見なくては他に見るべきものが、訳の分からないバラェティしかなくなってしまう場合があります。
個人的には、そういったところにこそ、BSでじゃんじゃんアニメを放送して欲しいと思うのですが、現状はそうなっていないので、現状に妥協して、韓国の歴史、ここでは朝鮮王朝のことについての本を読んでみることにした。

知らないことが多く、日本の歴史との対比して考えられる点もあり面白く読めましたね
ただし、少しでも朝鮮王朝のことを知ってもらおうと、詰め込み過ぎているみたいで、消化できるなかった部分もかなりありましたし、好意的にできるだけ書いているつもりのものでも、その説明は苦しいだろというような王もいましたね
実際に悪い奴なのでしょう。

疑問点もかなりありましたね。宮廷女官チャングムが料理人であるのが完全にフィクションだというのは、アウトなんじゃないかな。
他、資料がほとんどない人物を強い心をもって運命を変えていった女性とかにしてしまうというのは、脚色し過ぎでしょう。と自分は思いました
史実より創作に重きを置かれている。
但し、日本の時代劇の脚色の方向とは違いますね。
ダイナミックです

・ 「王を頂点と強固な中央集権王朝だった。」「徹底した儒教社会でその生活規範が津々浦々まで浸透していた」「政治は武人ではなく高等官僚が仕切っていて常に権力闘争が激しかった」

この3つを頭に入れておくべしと筆者はおっしゃてます。

細かいところに、多々言及したいのですが、朝鮮王朝の欠点にも自らメスもいれているのでバランスのとれた著述だと思いますね
日本とのメンタリティとの違いを知るということでも有益でしょう。

ただ、近代になってくると、王自らが政治を行うというスタイルは、拙いでしょうね
有能な君主も出る場合もありますが、暴君も出ますからね
王に集中すれば、弊害の方が多くなるのは予想されますしね

徳川政権では、将軍が無能でも政治が機能するしくみがあったみたいですし、肉親同士の骨肉の争いは、それほどなかったような気がします。
もちろん権力闘争がなかった訳ではないのですけどね

王自身が人間味溢れる人物が多いのは興味深いことですね
エネルギッシュな人が多かったからなんでしょうか
それと、悪女と言われているチャンヒビンさんが、今人気なのは分かるような気がしますね
ローマ帝国衰亡史 1

ローマ帝国衰亡史 1  ギボン 中野好夫訳  ちくま学芸文庫

 

ちょこちょこ拾い読みはしていたのですが、一巻を通読してみました
衰亡史となってますが、この巻の終わりの方では、絶対絶命の危機になってしまってます
ここで滅んでも仕方ないという状況になってます。
ここからリカバリーできるのか
そこを考えてみると歴史のイフにたいする、一つの答えを導きだせそうです。

衰退の原因は、一個人のみだけに帰することはできない
それが一巻を通読した感想になるのですが、実にダイナミックな暴君が出てきます。
軍を統率する能力のみで、抜擢することの恐ろしさと禍根を残すことも学べますね
異民族が大挙して襲来していくというにっちもさっちも行かない状況に対処しなくてはいけないところでは、そこは仕方がないのでしょうが、それでは解決できない
卑賤の身からでも皇帝になれるという事実が侮蔑の対象にもなるし、元老院の国防、統治への放棄が惨禍を招いてのも衰亡の大きな要因だし、住民自身の他の地域に起こった惨事への無関心も大きな問題であるとも暗示できます

この本は後世に数多くの教訓を与えてくれるもので、今の日本に置き換えて考えてみると、実に多くの衰退の要因を探せそうな気がします

こういう時代でも、優れて人物は、けっこう輩出しているのですが、衰退への歯止めには、全然ならない。
そこには大きな考えるべき素材があるようです

魏晋南北朝 内編の三国志のところ
魏晋南北朝 内編   岡崎文夫   東洋文庫  


またまた政治的な発言をしてしまった。
そんな柄じゃないし、偉そうなことを言える立場の人間でもないのに。
自己嫌悪だ。

こういうときは、やけ読書だ。
一番効能がある本を取り出してみた。

心を一番安らげる話は、自分にとっては歴史です。
その中でも英雄が活躍するのが好きです。他、暗黒時代も好きです。非常にそそられます。
英雄と暗黒が同居しているのは、中世ですね。やっぱり、ローマ帝国崩壊も堪らなく面白いのですが、中華帝国崩壊も堪らなく面白い。
魏晋南北朝時代は、一部の人には堪らなく魅力ある時代であると言えます。
この時代において、漢民族は異民族に無血開場のような事態に追い込まれます。本来は政治的にも重要である事件があったはずなんですが、そこは触れたがらないみたいです。
日本の教科書を読んでも、そこは重要箇所の中の特丸部分ではありません。
歴史の流れ、必然性を追ってみると、事件そのよりも、中華文明そのもののが傾斜していった時代であるとも見られます。
最後の一押しで異民族に屈した

大人気の三国志の時代は、実のところ中国社会は転落していく時代が背景にあるんですね。
暗くなりつつある時代です。
その中で英雄が躍動している状況は、考えてみるとシュールなのかも知れません。
面白いからいいか。
自分もそれで十分なんですね。
であるから、三国志は好きです。
吉川英治のものも、横山先生のマンガも読みました。
昨今の「蒼天航路」とか「覇lord」は、自分の趣向には合わないので読んでませんけどね。

その三国志を、戦前に書かれて名著の呼び声の高い岡崎先生の本で読むと、実に雰囲気がいいのです。
名文なんです。
何しろ、序文に白文で書いておられるくらいです。
実に恐ろしい本でもあるんですね。

内編とあるのは、主として権力の移動するところを究め。
で、外編は、もっぱら人文の化成する迹を記した。

とあります。手に入りやすいのは内編。
外編は、さすがに読み難そうだ。
今の歴史書、日本の歴史とかのシリーズは、どんどんこの本での外編部分が多くなっているようだ。
英雄たちの話よりも、社会の変動とか、当時の社会の成り立ちとかに記述の中心が置かれいますね。考古学の発展も寄与しているのでしょう。

この内編みたいな権力移動。つまり権力闘争に主眼を置いて記述というのは、今はないですね。歴史小説の分野で扱うことです。

冗漫に語り、英雄たちの会話を想像して書かれる歴史小説のいうのは、背景の歴史的状況への理解が至らなかった場合には、自分は白けます。
その点漢文調のこの本は、雰囲気が凄く良いです、講談を読んでいるかのよう。

三国志において、一番面白いところが、漢王朝が崩壊し王家を乗っ取った董卓に対して英雄たちが集結したところなんじゃないでしょうか。
この本でも悪逆非道な人物のように書かれてますね
果たしてそうだったのかというより、恐怖を人民に与えたの確実。
その最後は、吉川先生等の三国志の話では、かなり付け足した話なんだろう思いますが、これから何かが起こる予感はします。

この本をつらつら読んでいると非常に元気が出ます。
いろいろ気付いたことがあると、これからもちょこちょこと、人知れず書いていきたいですね。
ローマ亡き後の地中海世界 上・下
ローマ亡き後の地中海世界 上・下   塩野七生   新潮社


「ローマ人の物語」の続編を読んでみた。
題名にローマとありますけど、上・下巻一貫してイスラム教徒の海賊との戦いを描いておりましたね。それも一千年の長きに渡ってね。

教科書では、中世のヨーロッパとイスラムの関係では、十字軍のことを扱って東ローマ帝国の滅亡のことを淡々と書いているだけですけど、実際の歴史では、名も無きキリスト教の庶民が、いたぶられ続けた日々ですね。
拉致され、鎖に繋がれ、浴場と言われた収容所に入れられ、死ぬまでこき使われる。
イスラム教でなければ、奴隷として扱っても構わないという態度は、徹底していますし、キリスト教国側も、イスラム教徒には非寛容です。キリスト教国内ではモスクも建てられないのですしね。
一神教同士のぶつかり合いの一千年ですね。


それにしても東ローマ帝国、ここではビザンチン帝国の存在感の無さには、ある意味びっくりしますね。
収税することのみ熱心なんですが、庶民に安全を保障する意識は全く欠如しているし、力をつけてきた神聖ローマ帝国皇帝もフランス王も、庶民の悲惨な実態には、無関心です。
塩野先生の筆致を、そういう現代の目からみたら、そして古代のローマ人たちからみたら、絶対放置しないであろうことを淡々を描いております。

上巻では、ノルマン人の建てたシチリア王国のキリスト教とイスラム教の共生に、大きく惹かれましたね。
学校では、教えられることの少ない(イングランドを征服したノルマン人のことは太枠事項ですが)この王国について、これからの世界の異民族同士の共生については、大きなヒントがありそうだし、もっと多くの人が知るべきでしょう。
歴史学自体の組み替えが必要かも知れないですね。

下巻では、スター海賊と言ってもいいくらいの、個性豊かなイスラム、トルコ帝国の海賊苦しめられる地中海諸国についての記述ですね。
本当に一進一退。キリスト教国側では、内紛ばかりしている間に、名も無き庶民は、悲惨な目に合っております。
神聖ローマ帝国皇帝憎しで、トルコ帝国と結んで、海賊の首領をフランス国内に招き入れたフランス王はダメですよね。
手段と目的がごちゃごちゃですね。
そういうごちゃごちゃした時代だったとも言えるのでしょうね

個人的には。「ローマ人の物語」とはかなり違った感じがしましたね。面白いんですけど、この時代は、どうしようもないなあとしか言いようもありませわね。
それにしても、ビザンチン帝国って、ローマ人の末裔なんだから、もう少し、しっかりして欲しかったですよね。

それと、イスラム教というものについても考えさせられましたね。
現代原理主義と言うわれる者たちが、けっして傍流ではないということも分かるような気がします。
石油が枯渇していけば、寛容でない人々が増えていくのでしょうから、テロの多発化は避けられないのでしょうかね
いろいろと未来を考えさせられる本でもあります。
空白の世紀
空白の世紀 清張通史 2   松本清張   講談社文庫 



古代史と言えば邪馬台国がやっぱり一番有名なんですけど、真に謎の時代といえるのは、空白の世紀と言われる四世紀なのかも知れませんね。


日本史においては、ほとんど触れられることはなく、広開度王の碑とかを、覚えているだけで十分みたいです。

韓国とかでは、この時代のドラマが作られていますし、歴史教育として、大きくこの時代のことを、取りあげられているようです。

ほんとんど、分からない時代なので、推察するしかない時代ですが、韓国では、恣意的にその時代の歴史が教えているみたいだとは推測できます。
よく分からないのだから、書いたもの勝ち、声を大きくして主張したら、事実はそうなのだと言えるのだ。
と多分韓国側は考えているのでしょう。

日本側も、その時代が、どういう時代であったかというのを。全体像で掴んで記述しているものはほとんどなく、その時代については単純に記述されているだけのものばかりと言えますね。
そういう日本の学者の歴史の著作と違って、清張先生は、かなり大胆な説を展開しておられます。
専門知識がまるでない自分などは、清張先生の説が、どこがおかしくて、そういう説は、学界ではどういった位置づけにあるのか、皆目分かりません。
そして、この時代の研究が、どういう風に進んでいるのかもさっぱりです。

それと、多くの日本人の知識がさっぱり無いところにに持ってきてて、過去の植民地支配の論拠にもなっていた時代であったりもしますから、日本人として軽々しく扱えない時代だと考えているようでもあります。

自分のブログでの記事にも、批判したい人がいらっしゃるでしょうけど、そういう人は清張先生のこの本を読んでください。
読めばそれなりに分かります。いろいろとね。

この本の本文においては、江上波夫先生の「騎馬民族国家」という以前論争を巻き起こした本に、清張先生は、共感している立場みたいです。この本は、賛成より反対の方が多い論であり、今の学界では否定的に捉えられているのではないでしょうか。
どこが、おかしいというというのは置いといて(古代史の知識がない自分がそういうところを著述することは、困難です。)
、北方民族が、日本のヤマト国家樹立に携わったと考えておられているみたいだ。
そして、邪馬台国(清張通史の一巻は邪馬台国を扱っている)に連なる集団は、北部九州と朝鮮半島南部において倭種の集団として存在し、フェニキア人の如く通商に携っていたと推測しておられる。
そして、その集団は朝鮮半島にも勢力を確保しているとみております。

つまり両国を股にかけた集団が存在し、朝鮮半島を分地として見て、日本列島の方を本家と見るかによって、見方が変わると言うわけなんでしょうね。
そういうことなら、韓国とかで教えられている歴史とかでは、朝鮮半島を本家として、日本列島を分家として見ていると言えるのでしょう。

どっちでもいいじゃんと言えますね。
それで、どっちが偉いとか、自分たちが文化を教えたとか言わなければね。(韓国側が、そういうことができないのは、問題なんですけど、それはまた違う問題でありますよね。)

北方民族がそれぞれ、高句麗、百済、新羅、ヤマトを樹立したのだと考えていいのかしら。
ヤマトの場合には、その分地として任那というところもあったりするんですね。

それと、広開度王の碑における韓国側の日本側の恣意的改竄説は、否定されていますね。
最近になっても、韓国側が、戦前の日本軍部が改竄している主張を曲げていないかのように思うのだけど、どうなんでしょうね。

いろいろと興味深い本です。
肩肘張って、その主張おかしいという人もいるでしょうが、一種のミステリーとして読めば面白いと思いますね。
それにしても、清張先生の知識の浩瀚さは、驚くべきほどですね。あっちこっちの時代に飛ぶし、いろんな国にも話は及びます。
さすがでありますね。
マンガ書の歴史 殷〜唐

 マンガ書の歴史 殷〜唐     魚住和晃/編著 桜あおい/画    講談社


昨年末から書道部を描いたマンガ「とめはねっ!」に嵌り、それに伴い中国書道史、中国史関係の本を沢山購入した。
田舎の中年のおっさんには敷居が高いものが多かったわね。ネットで中古で取り寄せてみたら、広辞苑並の厚さの本も届いて、びびってしまった。漢字ばっか、それに旧字体で文語で書かれている。
ひゃーとか言いながら、つまみ食いしながら、読んでいると、無法図に注文していた本が次から次ぎへと届き、音を上げてしまいましたわね。
で、そこで忽然と悟ったことは、初歩の初歩すら分かっていないのなら、もっと易しく書かれているものをまず読むべきだと。
そこで、この本になるのですね。
確かにマンガも書かれているのですけど、それはエピソードをマンガで書いているというだけで、やっぱり漢字だらけですね。
でも、ルビも振っているし、初歩から簡単なことも書いているので、有益ですわね。

そもそも書の世界は、大多数の人にとっては、トリビアの世界であります。知らないところだらけ、知らないことを知るというのが、人間にとっては快楽の一つなので。そういう意味では快楽度は高いですね。

専門知識がゼロに近い者なので、内容について突っ込むことはできないのですが、書聖である王羲之さんは、呑気者だったんですね。真筆も残っていないしね、どうして偉大なのかは、また王羲之さんについての本を読まなくてはいけないみたいですね。
対して、顔真卿さんは、歴史的にも重要人物で、割かれてページはこちらの方が大きいですね
ここまで唐までの書の歴史というのは、書体と表現に対する概念が形成して転換を繰り返す時代と捉えられいます。
繰り返し読むべき本と言えますし、マンガもあるし、書の図版もある、ビジュアルも楽しい本ではあります。

ガリア戦記   一年目の戦争

ガリア戦記       カエサル(著)/国原吉之助(訳)     講談社文庫

最近忙しくて、ほとんど本を読めておりません。
ですが、「ガリア戦記」だけは、少しづつはよんでおります。
繰り返し読める本っていいですよね。

ついでなので、一年目の戦争のところについて少し書いておきましょうかね

元老院への報告書として書かれたものなんでしょうけそ、主観的記事が多いですし、臨場感がありすぎますし、ガリア人、ゲルマン人の皆さんは個性が強すぎですよね。
こういう我が儘な人たちって、昔からいたんだということが分かりますし、人間っていうのは、自分に対して都合良く解釈して生きている生き物なんだね。
カエサルは、そういう人たちの主張にも言い分を認め、冷静に書き記す。

一年目の戦争のところでは、二つも大きな戦いをしなくてはいけなくなる
まず、ケルタエ人の一部族のヘルウェティイ族との戦い。
ヘルウェルティ族は故郷を捨てて、ガリアの中心部の住み易そうなところに移住しようとする。
それを阻む為にカエサルは動く。

・ わが属州は、このような好戦部族でありローマ国民の仇敵を。無防備な穀倉地帯のすぐ隣りに持つことになる。

なんていう文章を書いてしまう。
当時のローマ人の皆さんははらはらとしてしまったのでしょうね。

・ 供手傍観しているべきでないと決心する。さもないとその間に、ローマの同盟部族の財産が、みんな奪いとられるだろう

毅然とした解決策を探る。つまり戦うことを決心したみたい。
本来の政治家はこうあって欲しいですね。
両者の対決は迫り、橋を素早く架けさせるようなところで、地道に相手方を圧倒した雰囲気を作り上げ、決戦前にカエサルは使節団に対し

・ 不滅の神々が、人間をその非行のため懲らしめたいと思ったときは、環境の急激な変化でさらにひどく痛めつけようとの趣向から、当座のうち人間に比較的幸運な境遇を与えておき、処罰をおくらせるのが常である

カエサルさんは、単純なものの見方をする人ではなく、信心深い人で、世の道理を考察するのに長けたひとだったみたいですね
いざ、決戦になると

 自ら敗走への期待を奪い、全員が危険を分かち合うことにし、部下を激励し、合戦を始める

将校も一兵卒も等しく危険を分け合う。旧日本軍に一番欠けていた思想ですね。

・ 夕刻までつづいた全戦闘を通じて、わが軍に背を向けた敵は一人も見あたらなかった

相手の健闘も十分讃える度量も持っていたいた人みたいですね

こに戦争の後にもっと大きな敵が背後のいることが分かった
ゲルマン人ですね。
やりたい放題、狼藉三昧のどうしょうもない野蛮人なんだけど、勇猛果敢で、戦には滅法強いみたいなのだ。
ローマ軍は、この未知なる敵に怯え、軍団内では不穏な空気に包まれる。
そこでカエサルは、軍団兵たちを叱咤する。

・ お前らは、おのれの武勇に、予の思慮に、なぜ絶望するのか。

この後。「ローマ人の物語」の塩野先生を唸らせた、演説が続いていくのだわね。

・ 予の廉直は、予の全生涯を通じて、予の武運は、ヘルウェティイ族との戦いを通じて、証明されている。

・ 兵士らに心で、廉恥と義務感が勝つか、それとも怯懦が勝つか、それをできるだけ早く知りたいと思う。しかし誰一人ついて来なければ、それでも予は、第十軍団だけ率いて、出発するだろう。この軍団兵の忠誠だけは、疑っていない。彼らは予の護衛隊となってくれるであろう。

人心掌握の秘訣を述べているような言葉で、実に奥深いですね。


ゲルマン人にとって戦争で勝つことは、

・ 税をとりたてているのは、戦争の権利にもとづく、税は勝者が敗者に課すのがふつうである。

なる見解であるのに対し、ローマ人であるカエサルは


・ もしローマの元老院の決定が守られるべきなら、ガリアは自由であるはずだ。元老院は、ガリア人が戦争で負けても、自らの法律を享受することを認めたのであるから

二十一世紀にならんとする現代でも、ゲルマン人みたいな考えの国家の方が、世界では圧倒的に多いですよね。

そしてゲルマン人の戦い方は、独特で次ぎのような記述があるのは、この後のカエサルがポンペイウスと戦ったファルサルスの戦いへの援用を見て取れると言っていいのかな

・ 騎兵は歩兵と共に、戦闘に臨み、いつでも歩兵のところへ戻っていた。騎兵の形勢が不利となるや、いつでも歩兵は援助に駆けつけた。騎兵が重傷を受け落馬すると、歩兵たちが、周囲を取り巻いて庇った。どこへでも。遠く進まねばならぬときとか、素早く退却せねばならぬとき、歩兵は馬のたてがみを握りぶらさがったまま。馬に遅れ
をたらせずに走れるほどの敏捷さを、訓練によって身につけていた。