今夏初めて、ウォークマンを買いました
カセットのそれではなく、MP再生できる機器としてのそれです
家にあるCDを懸命に取り込む作業を行っているのですが、クラシック音楽は、容量が大きすぎて何を入れるのかで、悩んでしまってます
マーラーの交響曲なんて、今年になって衝動買いをしてしまっておりまして、第五交響曲のものは、10種類を超えてしまいました
クラシックファン以外の人には、よく分からないことだと思うのですが、同じ曲を演者を変えて、何種類も集めるのは、どうしてなのか、
同じ指揮者のものでも、オーケストラ、年代が違えば、欲しくなるのは、どういうことなのか
何やってんだとなるのですが、欲しくなるのは仕方ありません
マーラーに関して言えば、有名評論家の中には、バーンスタイン、ワルターしか認めていない人がいまして、それだけあればいいのだみたいな発信をそてまして、それに対する反発もありまして、いろいろややこしいことになってます
バーンスタインのマーラーは、デーモニシュ的というか、荒れ狂うマーラーです
一つの極北なんですが、名演には違いありませんし、これに慣れれば、他は認めがたいと言えるかも知れません
自分としては、いろいろ聞いてみるしかないし、どの演奏もそれぞれ魅力があって良いものなのだというしかないですね
自分は、最近マーラーの交響曲を聴いて感じることは、人と同じで、どんなものも、長所はあっても、欠点は無いように思うべきなのではないかということです、
欠点や短所は、個性と考えて、チャーミングまのと考えると良いのではないかと
バーンスタインみたいな演奏は、行動力がありぐいぐい人を引っ張ってくれるが、感情の起伏が激しく、取り付く暇が余り無い人に例えられるかも、
用事は、そういう人とい組むと方づくけど、疲れますわね
でも、そういう疲れさせるのは、その人の欠点であるというより、個性であると思った方が良いですよね
自分の好きなマゼール盤は、表現が少し過多な人言えるかも知れません。
上手く纏めるのではなく、考えさせる部分はそれなりに残し、少しアンバランス。
マーラーの第五では、途中の幻想の楽園を表現しているところでは、少しシニカルになっており、そこが、良いと自分は、思ってます。
綺麗な場面、効果的な印象を持つところで、少し過多に表現すると、そこに日本的情緒では、有心があるのではと思ってます
本当に信頼ある人というのは、少しシニカルな人なのではないかしら
シノポリ盤は、ちゃんと整理しないとダメなのじゃないの
表現しっ放しで、どう纏めるの、これで良いのと思わせます
マーラーの曲というのは、伝統的な交響曲と違って、それぞれの楽章が、有機的に結びついている訳ではないので、それぞれを大きく表現すると、纏まりがなくなってしまう所があるのかも
この世は、混沌としており、それも、この世の真なのかも
自分の好きなレヴァイン盤は、思い切り鳴り元気です。マーラーの曲であっても生気がなければダメですよね
でも、楽園は、そんなにキンキン鳴っている所では、居ずらいですよね
パチンコ屋のキンキン鳴るところに心の安らぎを得る人もいるのですから、それもありなのかも
演奏を擬人化すると、その違いが分かり易くなるような気がします
短所などというものは、個性に過ぎなく思えたりもしますが、どうでしょう
クラシック以外もウォークマンにいろいろ入れようと今研究してます
ビートルズや、米良美一さんなども入れたりしてますし、最近何が流行しているのか知らないので、モーニング娘の曲なども入れていたりします
AKBとかももクロは、おじさんには、敷居が高いので敬遠。
中森明菜、山口百恵、松田聖子。フランク永井、越路吹雪も入りました
モンゴル800とか尾崎豊も入りました
クィーンやアバも入りました
自分的な選曲は、めちゃくちゃなんですが、それも個性なのだと、自分は思ってます